2015/01/25 - 2015/01/26
452位(同エリア1433件中)
オーヤシクタンさん
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第12部-57冊目
プロローグ
「やられた…」
僕は駅のベンチに座りこんでしまった。
ここはタイ.ラオス国境、タイ側の街‥ノンカーイの駅。
旅も終わりに近い7日目の事である。
バンコクから急行列車に12時間揺られてやって来た。
事件は、列車がノンカーイ駅に着く時に起きた。
スマホがない!
車内で充電をしていて、そろそろノンカーイに着く頃なので、プラグを抜いて荷物をまとめていたら列車はノンカーイ駅に到着し、乗客がバタバタと降り始めた時だった。
ん? 今まで、ここにあったスマホはどこに…
ポケットにもカバンにもない。
顔が一瞬で青ざめた。
列車はノンカーイ駅に着いて他の乗客はすでに降り、僕一人が慌てふためいていた。
車掌が「ノンカーイに着いているよ」と教えてくれている。
そんな事はわかっている。
カバンを広げててもない。
座席の隙間や床なども見たがない。
そんな馬鹿な…
今さっきまで、ここにあったのだ。
それが何故ないのだ。
車内清掃のオバチャン達が作業を始めていた。
とりあえず、荷物を持ってホームに降りる。
落ち着け!落ち着くんだ… と自分に言い聞かせ、ベンチの上にカバンの中身を一つ一つ並べていく姿は、これから露店でも開くかのようにも見える。
やっぱりない…
再び車内へ。
しかし、ない物はなかった。
列車がノンカーイに着いてから30分ほどが過ぎていただろうか。
やられた…
乗客が降り始め、荷物をまとめているわずかの隙に盗まれたのだ。
…そうとしか考えられなかった。
実は旅の2日目に、ミャンマーのヤンゴン駅でデジカメをなくすと言う失態もやらかしてしまい、スマホで写真を撮り続けて来たのだ。
スマホを無くしたらブログに載せる写真が全て台無しになってしまう。
自分の中では細心の注意を払っているつもりでいたのだが、こんな事になってしまうなんて…
もう、自分が情けなくて、悔しくてたまらない。
デジカメにスマホ… ダブルパンチだ。
機械本体より撮り続けてきた写真データを一瞬にして失ってしまったショックが大きく、駅のベンチに座りこんでしまった。
駅のベンチにへたこれてしまった僕の姿を駅員や乗務員がたむろして心配そう見る。
だが、彼らにもどうする事もできない。
僕は「マイペンライ.クラップ」‥日本語に訳すと「大丈夫です」と言うのがやっとだった。
それから、どれくらいの時間が過ぎたのだろうか…
静かな駅のホームには、僕とトゥクトゥクのおじさんが一人。
もう、何もする気が起きない。
しかし、前に進むしかない。
おじさんに「国境までいくら?」と聞く。
おじさんは、客になりそうな僕をずっと待っていたのだ。
体を引きずってトゥクトゥクに乗り込み、国境に向かう…。
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皆様、こんにちは。
オーヤシクタンでございます。
第37回海外放浪…今回は、タイ~ミャンマー~ラオスを9日間で周りました。
プロローグで述べましたが、今回の旅の写真はデジカメの紛失及びスマフォの盗難によって、全て失ってしまいました。
写真は、過去の旅行写真をイメージとして掲載し、文章主体である事をご了承願います。
表紙写真…スレーパゴダを中心としたヤンゴン中心街の街並み。
※イメージ。
旅行期日‥2015年1月24日(土)~2月1日(月) 8泊9日
1月25日(日) 第2日目。晴れ。
※徒歩(20分)
ヤンゴン空港…セーマイ
↓
★ヤンゴン市内バス(51番)
セーマイ8:10→スーレーパゴダ8:55
↓
★ミャンマー国鉄.ヤンゴン環状線(内周り)
ヤンゴン中央10:35→ヤンゴン中央13:25
↓
★ミャンマー国鉄.臨港線(PazunDaung行)
Pansodan14:40→PazunDaung15:10
☆宿泊‥ヤンゴン市内.エベレストホテル。
※ヤンゴン市内バス‥200チャット(20円)
※朝食…700チャット(70円)
※ヤンゴン国鉄環状線AC車…500チャット(50円)
※昼食…1000チャット(100円)
※ヤンゴン国鉄臨港線…100チャット(10円)
※夕食…1700チャット(170円)
※プリン:水:缶ジュース…1150チャット(115円)
※エベレストホテル…9ドル(1050円)
1月26日(月) 第3日目。
★ミャンマー国鉄.トーチャンカレー行
ヤンゴン中央6:40→NgaMoeYeik7:20
↓
★タクシー
NgaMoeYeik8:15→ヤンゴン空港8:50
※ミャンマー国鉄環状線…200チャット(20円)
※朝食…500チャット(50円)
※タクシー…6000チャット(600円)
※チップ…200チャット(20円)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
空港からタクシーに乗っては面白くない。
地元民に混じって路線バスで市内に向かう。
※イメージ。
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①
ヤンゴンに着いたのは、定刻7:15。
日本とミャンマーには2時間30分の時差があるので、日本時間では9:45である。
入国審査は、因縁をつけられたり、賄賂を求められるような事はなく、あっさりと入国のスタンプが押された。
到着ロビーに出ると、ロンジーを履いた人々や、顔にタナカーと呼ばれる日本で言ったら白粉みたいな物を顔に塗っている達が多く、ミャンマーに来た事を実感する。
ヤンゴンではアジアの空港の儀式とも言えた、タクシーなどの客引きに囲まれる洗礼を受ける事になるのか?
身を構え緊張が走る。
「タクシー!」と声はかけられる。
しかし、しつこい事はなく、「いらない」と言う仕草をすると、あっさりと下がってしまうようだった。
空港で両替をした。
かつて、ミャンマーでは外国人に対して300米ドルの強制両替をしなければならなかったらしい。
強制両替で替えられるのは、一般人が使うチャットではなく、限定された場所でしか使えない代物で、旅の強者達は、闇両替に走る事を余儀なくされた。
その時代から見ると、今は両替所で普通に両替ができる。
ただし、日本円は駄目らしいので、成田空港で米ドルを用意しておいた。
とりあえず、80米ドルを差し出すと、80720チャットになった。
外に出た。
そこで目に入ったのは、信南交通バス。
長野県駒ヶ根市を拠点とするバスが、塗装や社名もそのままで使われているではないか。
その他のバスも日本語表記がそのままになっている物が多く、トラックは〇〇運送とか、乗用車も〇〇株式会社…と記されているままだった。
なんでも、この方が高く売れるらしい。
市内へ向かった。
ヤンゴン空港から空港バスはなく、一般的な足はタクシーのみとなる。
しかし、ここで簡単にタクシーに乗るのは面白くない。
地元民に混じって公共交通機関で行く方が味のある旅になる。
空港バスはないが、地元民向けの足がある事は、事前に調べていた。
それによると、乗合トラックに乗ってセーマイと言う所に行き、そこから51番の路線バスに乗るとスレーパゴダまで行けるとの事。
道路に出ると、空港内からの営業許可がないタクシーなのだろうか。
数台のタクシーが並んでいて、皆、僕の姿を見ると、鴨が来た!とばかりに「タクシー!タクシー!」と寄って来る。
「いらないよ~」と言っても、もぐら叩きのように次から次へと声をかけられる。
乗合トラックを待つ所ではなかった。
空港に近い街‥セーマイまで、たいした距離でもないとの情報もあったので、空港を背に右方向へ歩き始めた。
日本は寒い日が続いてウンザリだったが、ヤンゴンは1月でも木々が青々としていて、朝だったせいもあるのか、清々しい陽気で心地よく、歩いていても苦にならない。
20分ほど歩くと、更に広い道路にに突き当たり、少し右に行った所に、乗合トラックがたくさん停まっていた。
どうやら、ここがセーマイのようだ。
道路の向かい側に人が屯している。
そこがバス停に間違いないようなのだが、車が多くてなかなか道路を横断できない。
東南アジアの国々はシンガポールを除いて、車が走っていようが、なんだろうが、車の隙間を狙いながら道路を横断する。
歩行者も律儀に交通規則を守る日本から来ると、初めは躊躇するのだが、数日すると慣れて来て、アジアの国に染まっていくのだが、体がまだ、アジアモードに切り替わっていないのか…なかなか足が前に出ないでいた。
すると、ピーッ!と警笛が鳴り、車が停まるではないか。
「なんだ?なんだ?僕の為なのか?」
…な訳がなかった。
そこに、赤い袈裟に身を纏った僧侶が托鉢の為に列をなしていた。
僧侶が道路を横断する為に車両を停めたのだ。
托鉢と言ったら、ラオスのルアンパパーンが有名だが、今、僕の前にいる托鉢の列も凄い。
ざっと、50人位はいるだろうか。
その中の2/3は、まだ、あどけなさが残る少年僧であった。
ヤンゴンの市バスは、系統番号が車体に記されているのだが、その数字はミャンマー文字だった。
51番…自分のメモ帳にミャンマー文字を書いておいたので、来るバスの番号と照らし合わせる。
すると、51番らしきバスが来るではないか。
バスは適当に停まり、そこに人が群がる。
ここに整列乗車と言うと言う言葉はない。
僕もバスに向かって走った。
車掌に「スレパヤ~?スレパヤ~?」と連呼して聞くと「そうだ」と言う仕草をするので、地元民に混じってバスに乗りこむ。
運賃は200チャット(20円)だった。
タクシーだと8000チャット(800円)もかかる。
僕は心の中で「やった!」と呟いた。
バスは満員だった。
日本で使われた路線仕様の中古車両で、降車ボタンがそのまま残り、僕が乗ったバスは、ラッピングされていたので、日本のどこで活躍していたバスなのか、わからなかったが、神奈川中央交通やJRバスなどの中古バスをよく見かけた。
ミャンマーは右側通行なので左ハンドルが標準の国だが、驚いた事に運転席は右側のまんまで、ボディの右側に無理矢理穴を開けて取り付けたドアが乗降口になっていた。
布地がなくなり、そこに板をはめただけの座席。
吊革も黒ずんでいた。
少しすると席が空き、他の乗客が「ここに座りなさい」と手招きをしてくれた。
そこは、かつて中扉があった場所だが、扉を使わなくなったので、窓に沿って板を敷いただけの座席になっていて、保安基準と言う言葉は存在していないようだった。
運転が凄かった。
急停車、急発進は当たり前。
座っていても、単なる板の上に座っているので、何かに掴まっていないと滑ってしまう。
クラクションをバンバン鳴らして、バス同士でもカーチェイスをしているではないか。
日本ではありえない光景を恐怖に耐えながらじっと眺めるしか術がなかった。 -
コロニアル建物のヤンゴン中央駅。
表記は98%ミャンマー語で、ザ!ミャンマーと言う感じがした。
ここでデジカメを紛失する‥(泣)。
※イメージ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
②
セーマイから45分ほど走ると、スーレーパゴダが見えて来たので降ろしてもらった。
一直線上の道の先にスーレーパゴダが見えたので、すぐの所かと思ったのだが、まだ、距離があるようだ。
その道には、たくさんの露店が並んでいた。
軽食ができる屋台、果物に菓子、雑貨、花類…見ているだけで楽しく、そこにアジアの活力を感じる。
ヤンゴンは「戦いの終わり」と意味で、イギリスの植民地となった時に、イギリス人が綿密な都市計画のもとに建設された街で、スレーパゴダを中心に街が形成されている。
ヤンゴン中央駅に向かって歩いていると、ミャンマー人男性が日本語で話しかけてきた。
なかなか流暢な日本語である。
「昔、日本にいました。どこに行くのですか?案内しますよ」と言葉巧みに話してくる。
アジアを旅しているとよくある事だ。
「駅に行くんだけど、わかるからいいよ」と言うと、「これを買ってくれないか」と10枚束になっている絵ハガキを出して来た。
この時は丁重にお断りをしたのだが、写真が1枚も無くなってしまった今、あの時、ハガキを買っておけばよかったな… と後悔。
ヤンゴン中央駅は、白いコロニアル調の建物だった。
まずは、写真を1枚撮る。
中は薄暗く表記はミャンマー語しかない。
日が高くなると暑くなってきた。
少し、一休みしよう。
それにしても腹が減った。
昨日は、何もしなくても食事が出てくるVIP 待遇だったが、状況は一変し、今朝から口にしているのは、ノックエアーで出された小さなチョコケーキと水だけだった。
ミャンマーの中心的存在にあたる、この駅に食堂らしいものは見当たらなかった。
少し戻って行くと、今度は旅行代理店の男性が勧誘にやって来た。
僕は「食事できる所はないか?」と身振り手振りで聞くと、男性は目の前の屋台を指差した。
そこには、やる事のない男達が屯していて、
暇そうにしている。
さて、なんて注文していいかわからない。
テーブルにあった、人の食べ残しを指差して「これ」と言う仕草をして注文する。
すると、出てきたのは、卵焼き御飯だった。
卵の味が濃いような感じがする。
これは旨いではないか。
コーヒーを頼むと、お湯の入ったカップに粉末の袋がのっている。
自分で袋に入った粉末コーヒーをお湯に溶かして飲むのだ。
日本でコーヒーをこんな出し方をしたら、どやされてしまいそうだが、こんなささいな事でも、なんか妙に新鮮に感じてしまう。
「そうだ!写真、写真…」と腰のポーチに手をやると、入れているはずのカメラがない!
ポケットにもカバンにもない!
アレレ…どこにやったんだ?
あっ!さっき、駅で一休みした時に置いて来てしまったのか…
急いで飯をかきこみ、駅に戻った。
しかし、カメラはなかった。
回りをウロウロしたがない物はない。
カメラ本体より、ここまで撮ってきた記録が無くなってしまったのが、ショックだった。
仕方がない。
自分の不注意である。
この数日後に更なるショックを受ける事を、この時はまだ知るもなしに、スマホで写真を撮って行く事にした。 -
JR西日本に在籍していた、キハ181系がヤンゴン環状線で活躍する。
日本の山岳地帯用に高出力エンジンを搭載した車両だが、気が遠くなるほど遅かった。
※イメージ。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
③
ヤンゴン中央駅に入った。
ミャンマーの中心的駅だが、忙々とした雰囲気が全くない。
パソコンを片手にしたビジネスマンの姿があるわけもなく、のんびりとした空気が漂っていた。
ホームには数人の物売りがいて、簡単な食事ができるようだった。
ホームにある小屋が切符売場のようだった。
僕は駅員にキハ180系の写真を見せて、指をグルグル回して、「環状線に乗りたい」と言う仕草をした。
キハ180系と言うのは、JRで活躍していた特急列車用のディーゼルカーである。
廃車寸前の所でミャンマーに渡り、今はヤンゴン環状線で運用されている情報を事前に得ていたのだ。
すると駅員は「10:35に来る」と言いながら、切符を売ってくれた。
気になる事があった。
鉄道は軍事的理由から許可をとらないと、撮影が禁止されていると聞いていた。
今はどうなのか?
バズーカ砲のようなカメラを構えたらダメかもしれないが、スマホで写すぐらいなら許されるのではないか…
駅構内には軍人らしい人は見あたらず、ゆるゆるの空気が漂っている。
すると、キハ180系列車が入線して来たので、パシャリ!と1枚撮ってみた。
…何も言われなかった。
続けざまに何枚か写真を撮って列車に乗る。すると、車内に貼られた‘グリーン車’の表示が目に入った。
埃っぽく、へたっていたが、ゆったりとしたリクライニングシートが並んでいるのはJR時代と変わらない。
この列車は5両編成で、他の車両は普通車だったが、この列車には、
普通車もグリーン車もないようだった。
だいたい、グリーン車の意味を知っているのは、この列車の乗客で僕ぐらいなものだろう。
しかし、この列車はエアコンがついている‥と言う事で他の一般列車と運賃による差別化が行われていた。
これはアジアの国々の交通機関では多い事だ。
ヤンゴン駅で支払った運賃は500チャット(50円)だった。
これが、エアコン無し列車だと200チャット(20円)とエアコンの有無で、2倍以上の差額が生じているのだ。
ヤンゴン駅から1周してみて感じたのは、1周する客は、異国から来た物好きな僕ぐらいだろうと思っていたのだが、地元民でも1周する人が意外に多いと感じた。
僕は思った。
彼らは涼む為に、この列車に乗っているのではないか…
彼らには、これがキハ180系だろうが、グリーン車だろうがどうでもいい事なのだ。
500チャット払えば3時間、涼しい車内で過ごせる。
僕の斜め向かいにいる若者4人組は、ヤンゴン駅から乗って、車窓の風景には目もくれず、スマホに夢中になり、飽きてきたら昼寝をして、ヤンゴン駅で降りたのだった。
列車はすぐに発車した。
するて、列車は縦に横にと大きく揺れ始めた。
しかし、揺れに反して速度は遅かった。
平行する道路のスクーターの方がスイスイと走っているではないか。
ヤンゴン環状線は一周45キロなのだが、所要時間は2時間は50分もかかる。
ちなみに山手線は一周35キロを約1時間で走ってしまう。
キハ180系は日本の山岳勾配路線のスピードアップを目的に開発された車両で、ハイパワーエンジンを搭載されているのに、勾配のないヤンゴン環状線、たった45キロの区間を、約3時間もかけてノロノロと走らなくてはならない…老朽化が進んでいる車両とは言え、なんだか気の毒になってきた。
列車は各駅停車なので、ひとつひとつの駅に停まっていく。
列車の窓から見ると、どの駅も人がそれなりにいて、談笑している人、やる事がなく呆然としている人、駅の隅では子供が遊び、物売りがいる。
駅が地域のコミュニティの場になっているようだった。
そして、必ずと言っていいほど、犬がいる。
犬はタイにも多い。
駅に行けば犬が昼寝をしている事も珍しくないのだが、ミャンマーも、街を歩けば犬に当たる!…と言うくらい犬がいるのである。
やがて列車は市街地を抜け、周囲には青々とした田園風景が見渡せるようになったが、景色は単調だった。
のんびりした速度と、ゆらゆらとした揺れは眠気を誘う。
ひと眠りしてしまった。
列車はあい変わらずゆっくりと進んでいた。
着いた駅はミンガラドンと言う駅で、やっと半分の手前まで来たようだった。
車窓から見える景色は、あいかわらず単調だったが、ヤンゴン国際空港の誘導路が見え、列車は草むらの中を左に向かって弧を描くようにカーブして行く。
この辺りからヤンゴン市内へと戻って行くようだが、まだ先は長そうに感じた。
駅周囲に市場が広がるタニンゴン駅を過ぎ、
車両基地のあるインセン駅で数分間の停車をする。
やる事がなにもなかった。
ただ黙って窓の外を見つめるしかない。
ヤンゴンからずっと乗っている斜め向かいの若者達は、口を開けて昼寝に入り浸っている。
そう言えば、物売りが来ない。
アジアでは、人が集まる所には必ずと言っていいほど物売りが存在する。
列車の中でなにか美味しそうな物でもあったら…
と思っていたのだが、車内を回っているのは、新聞売り1人だけと、物売りではないが、検札が2回あっただけだった。
再び市街地を走るようになったが、平行する道路を走るスクーターと比べても列車の速度はあい変わらず遅く、スクーターがあっという間に見えなくなってしまう。
それでも、車内にはたくさんの乗客がいた。
遅かろうがなんであろうが、ヤンゴン環状線は地元民の大切な足となっている事は間違いないようだ。
ヤンゴン中央駅を出発して2時間50分。
列車は再びヤンゴン中央駅に到着し、環状線一周の旅に幕を閉じる。
…と感傷に浸る間もなく、入れ替わりに乗客を乗せると、すぐに再びヤンゴン一周に出発して行ってしまった。 -
じぇじぇじぇ!
三陸鉄道で活躍した車両がヤンゴン臨港線を走る。
この1両の列車に乗務員が4人もいた。
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③
ヤンゴン中央駅から再びスーレーパゴダに向かった。
スーレーパゴダは高さ46メートルの黄金の塔がまばゆく光り輝き、ヤンゴンのランドマークになっている。
付近はロータリーになっていて、その脇には純白の独立記念塔がそびえるマハバンドゥーラ公園があり、市民の憩いの場となっていた。
スーレーパゴダから南に向かうとヤンゴン川沿いの港湾地区となり、対岸に向かうフェリー乗り場はパンソダン埠頭と言い、たくさんの人で賑わっていた。
屋台には、ミャンマー料理の象徴とも言えるカレーが並んでいる。
豚肉のカレーを食べてみた。
マイルドな味がする。
豚肉カレーとコーラで1000チャット(100円)。
日本のカレーとは違う味だが、なかなか旨い。
僕はこのカレーを食べながら昔の事を思い出した。
20年ほど昔の事だが、僕はスキーバスの運転士をしていた。
眠い目を擦らせながら、寒い深夜、吹雪や凍結路に神経を尖らせながらハンドルを握っていると、お腹が空いてくる。
明け方に入るドライブインはオアシスのような存在で、そこには乗務員用にカレーが置いてあった。
そのカレーは油濃かった。
後でお腹がもたれるとわかっていながらも、「旨い旨い」と言いながら、油濃いカレーを掻き込む生活を送っていたのだ。
ミャンマー料理は油濃いのが特徴で、時間が経つとルーと油が分離するのがわかるくらい油濃い。
後でお腹にずっしりくるのがわかっていながらも食べてしまう。
昔、食べたドライブインのカレーと、今、食べているミャンマーのカレーが重なって見えるのだった。
パンソダン埠頭の近くにミャンマー国鉄臨港線のPansodan駅がある。
駅と言っても簡易的な屋根があるだけで、バス停みたいなのだが…
そこに来た列車は…「じぇじぇじぇ~」と思わず呟きたくなる列車だった。
やって来たのは、三陸鉄道で活躍していた36形ディーゼルカー。
2009年にヤンゴンに渡って来たので、この車両は震災やあまちゃんを知らない。
車内はオールロングシートに改造されていたが、外観は三鉄時代の面影を残していた。
列車はゆっくりと走り始めた。
ヤンゴン川に沿ったストランド通りの道路上に設けられた軌道を走るので、路面電車の雰囲気を味わえる。
運賃は100チャット(10円)‥切符は車内で車掌から買う。
観光客の姿はなく、乗客は僕と地元民の10人ほどだった。
三陸鉄道では運賃箱を付けてワンマンで走っていた列車がミャンマーでは10円の運賃で、たった1両の列車にもかかわらず、運転士2名・車掌2名‥と乗務員が4名も乗務している。
ミャンマー国鉄はなんて贅沢な人員配置をしているのか…
しかも、運行区間はPansodan駅から環状線に接続するPazundaung駅まで、約5キロしかないのだ。
列車はそのわずか5キロの区間を30分かけてトコトコと走る。
すると、踏切にさしかかった。
バスが停止線より前にはみ出て停車していた。
列車は最徐行したのだが、だんだんバスとの間隔が狭ばり、バスのミラーが列車に接触!ミラーが割れる音が響いた。
日本だったら接触事故で運行見合わせになる。
しかし、ここはミャンマーだ。
最徐行はしているものの、列車が停車する事はなく、何事もなかったかのように通過してしまった。
通りから外れると、列車は警笛を頻繁に鳴らしながら走るようになった。
線路際には不法占拠と言えるような建物がたくさん並んでいて、スラム街に入ったようだ。
線路際にはゴミが散乱していて、煮炊きをする匂いが漂っていた。
スラム街を抜けると、ヤンゴン環状線に沿って走るようになり、Pazundaung駅についたのだが、臨港線にはプラットホームがなくて線路際にそのまま降りなくてはならなかった。
ここが終点のはずなのだが、降りたのは僕一人で数名の客を乗せたまま、列車はPazundaung駅を離れていった。 -
右側の建物がエベレストホテル。
7階建てだが、エレベーターはない。
※イメージ。
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⑤
駅から宿までは、歩いて15分ほどなのだが、大通りに出ると、バスが来た。
歩くのが億劫になって来たので、どこに行くバスかわからないが、乗ってみる事にした。
運賃は200チャット(20円)‥市内バスは均一料金のようだ。
地図とバスの進んでいく方向を照らし合わせていく。
すると、宿近くのバス停を通ったので降ろしてもらった。
宿は、現地で探した方が味のある旅になる。
しかし、ミャンマー国内は、宿不足と聞いていた。
今回もタイトなスケジュールになってしまったので、現地で部屋がない‥と路頭に迷うのは避けたかったので、ネットで予約をしておいた。
ネットで予約できるホテルは高かった。
相部屋のドミトリーなら安いのだが、個室になると安い部類でも30ドルはした。
そんな中で見つけたのが、今夜の宿‥エベレストホテルだった。
バストイレは共同だが、9ドル(1050円)と言う値段にひかれて予約した。
ヤンゴンでは建てられてから数十年は経っていそうな古いビルが、ある日騒然と崩れ落ちる事がある。
エベレストホテルは、その要素をしっかりと備えたような建物だった。
7階建てで、僕に割り当てられた部屋は6階だったが、エレベーターはなく、階段を昇り降りするしかない。
部屋の鍵は南京錠。
古びたベッドが2つに机と扇風機があるだけの簡素な部屋だった。
シャワーは水だけで、トイレは洋式だったが、便座がなかった。
「9ドルだもんな…」
そう呟きながら、ベッドに横たわり天井の裸電球をみつめていると、睡魔がぐわ~んと襲って来た。
昨日から半分徹夜で動いて来た。
旅は始まったばかりだ。
ひと眠りしようか… -
9ドルの部屋は、ベッドと机があるだけの簡素な部屋だ。
※イメージ。
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⑥
目が覚めると日が暮れようとする時間だった。
宿の周りをうろついてみる。
路地裏に市場があり、生々しい匂いが鼻腔をくすぐり、鶏肉は丸ごと1羽、見た事のないような魚などが並べられていた。
パゴダもあった。
地域の憩いの場と言った風情が漂い、夕涼みや瞑想する人達で賑わっている。
惣菜を並べた屋台食堂が数件あった。
夕食にするか…
若いお姉さんがいる屋台で、指差しで注文してみる。
鳥肝カレー
ライス
野菜炒め
コールスロー
生野菜
スープ
路上に並べられたテーブルと椅子は低く、低い目線から街をボ~と眺めていると、頼んだのはカレーと野菜炒めだったのだが、それ以外にもスープや野菜などが並べられた。
なんでもサービスらしい。
主菜以外にも色々とおかずが出てくるのは韓国に似ている。
これで1700チャット(140円)。
庶民的な食堂は財布に優しくボリュームたっぷりだった。
どっぷりと日が暮れた。
街を歩いていると、道端にテーブルが並べられてみんな楽しそうに食事をしている。
ビアガーデンもあり、冷えた生ビールがとても旨そうにみえる。
宿に戻った。
ヤンゴンでは電力不足で停電が頻繁に起こる…と聞いていたが、停電は起こらなかった。
テレビもなにもない殺風景な部屋では、寝る事しかやる事がなかった。
気持ち良く寝ていると、どこの部屋なのか?
歌なんだかお経なんだかわからない声が、通路を伝って僕の部屋にまで響いてきた。
すぐに終わるだろうと思っていたのだが、1時間以上永々と続くことになる。
僕の安眠が妨げられたのは言うまでもない。 -
貨物車ではありません。
これも立派な客車です。
※イメージ。
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⑦
翌朝、6時にチェックアウトをした。
まだ夜は明けておらず、暗い道を15分ほど歩いてヤンゴン中央駅に向かう。
歩いているうちに、夜が明けてきた。
跨線橋から見える朝日が美しい。
今日は飛行機でバガンに向かう。
そこでヤンゴン環状線に乗って空港に向かう事にした。
ヤンゴン中央駅から内回りの列車に乗って、50分ほど所にある、PaYwetSeikGoneと言う駅で降りて、30分ほど歩くと空港に行けるはずだった。
僕が駅に着いたのは6:30頃で、列車が一本出て行く所だった。
朝のヤンゴン中央駅は静かだった。
線路で鳥が餌をついばみ、人影はまばらだった。
朝のラッシュと言うものはないのか…
ホーム上の小屋で切符を買った。
200チャット(20円)‥これはエアコンのない一般列車の運賃で安い。
駅員に「次のPaYwetSeikGoneに行く列車はいつか?」と聞くと6:40に来ると言う。
列車は5分ほど遅れてやって来た。
重機のようなディーゼル機関車につながれた古い車両がのそのそと姿を現す。
車内にあるのは、プラスチック製のベンチのような椅子があるだけだった。
一瞬、貨物車両に乗り込んだ気分になる。
乗客は少なく、列車は静かにヤンゴン中央駅を発車した。
列車は朝もやの中を走る。
この列車も遅かった。
線路脇にいる人が、少し勢いをつけて車両に乗り込む事ができてしまう。
そんなスピードだった。
昨日乗った列車はエアコン車だったので、窓ガラスが固定されていたのだが、今、乗っている列車は窓ガラスもドアもなく、アジアの風が入ってくる。
「アジアの鉄道はこうでなきゃ…」と呟きながらながら顔を出して外を眺めてみた。
線路にはゴミが散乱し、一応、修復はされたような形跡はあるのだが、枕木を支えるバラストが少なく、量が一定でなかった。
せっかく修復してもスピードが出せるわけがない。
30分ほど乗っていた時だった…
昨日と車窓の風景がなんとなく違うような気がしてならない。
そんな僕を察したのだろうか。
向かいに座っていたミャンマー人男性が「どこに行くんだい?」と声をかけてくれた。
車内にある路線図のPaYwetSeikGone駅を指さし「ここに行くんだけど…」と言う仕草をすると、男性は慌てた顔をして「この列車は行かないよ」と言うではないか。
「次の駅で降りて、まっすぐ歩くと大通りがあるから、そこからバスで行ける」と英語で教えてくれる。
親切なミャンマー人だった。
降りた駅は、NgaMoeYeikと言う駅だった。
某ガイドブックを見ると、ヤンゴンから15キロほど北東にある街であることがわかった。
後で調べてわかったのだが、僕が乗った列車は、環状線ではなくマンダレー本線を走る、普通列車トーチャンカレー行きであった。
日本人が聞いたら「トーチャンがカレー食うのか?」と聞いてしまいそうな地名だなと呟いてしまう。
NgaMoeYeik駅は小さな駅だった。
駅から未舗装の道が一直線にあり、その道に沿って食堂や商店が数件あり、鶏が道路を横切るのどかな街だ。
大通りまで歩いてみた。
バスがある事はあるのだが、どのバスも超満員でどれに乗っていいのかわかるはずもなく、ヤンゴン方面への道は渋滞していた。
バスは無理だな…
そう悟り、再び駅に戻った。
すると、ヤンゴン方面の列車が来るではないか。
ラッキーと思っていたら、その列車は警笛をバンバン鳴らしながら駅を通過してしまった。
特急列車だったらしい。
そこで驚く光景を目にした。
走行中の列車から人が飛び降りたのだ。
環状線ならノロノロ走るから平気そうだが、特急列車である。
それなりのスピードが出ていた。
ケガでもしたらどうするんだ…と思って見ていたのだが、飛び降りた人は何事もなかったかのようにどこかに行ってしまった。
時計は8時近かった。
ここで無理に公共交通機関にこだわって飛行機に乗り遅れては洒落にならない。
この街からタクシーで空港に向かう事にしよう。
その前に腹ごしらえをしなくては…
駅前に食堂があった。
店前で麺類をつくっていたので、適当に麺料理とコーヒーを注文した。
中に入ると、地元の人達が朝食を食べていて、なんでここに異国人が…と言う眼差しを受けてしまった。
出てきた麺料理は、ほうとうのような味噌っぽいスープのものだった。
コクがあって旨いではないか。
これで、500チャット(50円)…地元人価格で安く、お腹も心も満たされた。
大通りでタクシーと空港までいくらか交渉した。
言い値は7000チャット(700円)を6000チャット(600円)にして貰い交渉成立。
車はカローラのバンタイプだった。
ハンドルは日本時代のまま‥右ハンドルで右側通行を器用に走る。
優しそうなドライバー氏だったが、隙間を縫うように走り、対向車線に出て車をぶち抜きまくる。
ひえ~!と心なかで呟いても、ドライバー氏はお構い無しに車を飛ばした。
某遊園地の絶叫マシンに負けないスリルさを味わう空港までの30分であった。
つづく!
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