2019/09/01 - 2019/09/01
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この旅行記のスケジュール
2019/09/01
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電車での移動
①函館市電.5系統.湯の川行 函館駅前.17:15→五稜郭公園前.17:32
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この旅行記スケジュールを元に
第135部-614冊目 11/19
皆様、こんにちは。
オーヤシクタンでございます。
世間様の夏休みが終わる頃、仕事がひと段落し、急遽でありますが、9連休とることに成功しました。
さて、どこに行こうか‥
丁度この時、フォローして頂いているBTS様が旅行記「北海道&東日本パス7日間」を配信中で、表紙画像のマグロを見たら、私も青森に行きたくなりました。
てな訳で、今回は8泊9日で青森県をまるごと堪能します。
本編はかつて、青函連絡船として活躍していた'摩周丸'に乗船見学を行います。
拙い旅行記ですが、ご覧頂けたら幸いです。
表紙画像‥青函航路で活躍後、函館港に係留され博物館として後世に歴史を伝える青函連絡船/摩周丸。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
令和元年8月28日~9月5日 (8泊9日)
9月1日(日) 第5日目-3 晴れ
※函館市青函連絡船記念館摩周丸.16:16-17:00
:
①函館市電.5系統.湯の川行
函館駅前.17:15→五稜郭公園前.17:32
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
函館市企業局交通部‥600円
函館市青函連絡船記念館摩周丸‥450円
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
15:57
青森から青函航路のフェリーで北海道に渡り、函館駅に着きました。函館駅 駅
-
函館駅の改札口も自動改札なんですね。
今回は、JR北海道の利用はないので、見るだけです。 -
まずは、函館市観光案内所に寄って‥
函館市観光案内所 (JR函館駅) 名所・史跡
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函館市電の1日乗車券を買いました。
市電専用1日乗車券‥600円
別冊の路線図や観光エリアマップが付いており、1日乗車券を提示すると割引などの特典がある見学施設・レストラン・土産物店などの協力店が多数あります。
↓函館市電
https://www.city.hakodate.hokkaido.jp/bunya/hakodateshiden/ -
「函館本線0マイル地点記念碑」
この記念碑は、昭和37年10月14日に道南地方の鉄道発祥の地として、初代函館駅があった函館市海岸町10番地に建立されたものが、海岸町の宅地化によって平成2年7月、青函連絡船の岸壁付近に移設し、その後、平成26年10月に現在の函館駅に移設されました。 -
函館駅の歴史が掲示されていました。
見てみましょう。 -
明治35年12月10日に開業した、国鉄の前身、北海道鉄道の初代.函館駅です。
後、ここは港の連絡に不便だったことから、2代目の函館駅が明治37年7月1日に開業。
この初代の函館駅は亀田駅と改称されましたが、明治41年3月に焼類し、廃駅となったそうです。 -
2代目駅舎を改築して、大正3年12月10日に落成された、3代目函館駅です。
この3代目の駅舎は、昭和13年1月18日に失火により全焼してしまったそうです。 -
そして、昭和17年12月20日に4代目函館駅が開業しました。
昭和17年落成から61年間、北海道の玄関口として青函連絡船と共に活躍したこの駅舎を懐かしいと思う方は多いと思います。 -
函館本線のレールの末端です。
と、言う事はここが北海道鉄道最南地点と言うことになりますね。 -
さて、この歴史ある建造物は‥
-
「可動橋」
岸壁と船の間、貨車を積み込むための橋です。
大正14年5月20日の竣工で、同年8月1日から正式に車両航送が開始されました。
この可動橋は、摩周丸および青森の可動橋・八甲田丸とともに、平成23年8月7日、日本機械学会の機械遺産に認定されています。 -
青函連絡船.摩周丸の船尾です。
船尾扉を開けて、船側のレールと陸側のレールをつなげます。 -
「摩周丸」の文字が輝かしい。
-
青函連絡船に就航していた「摩周丸」です。
操舵室の下、元々船長・航海士室だった部分は、現在3階サロンとなり、窓が大きく改造されたので、現役時代とは少し雰囲気が変わっているそうです。
= 摩周丸 =
船種‥車載客船
船籍‥日本/函館
運用者‥北海道旅客鉄道
総トン数‥5,363t
全長‥132m
全幅‥17.9m m
建造所‥三菱重工神戸造船所
就航‥昭和40年6月30日
終航‥昭和63年3月13日
青函連絡船は青函トンネルが開通し、1988年(昭和63年)3月13日に津軽海峡線が開業する事から、惜しまれつつも82年間の歴史に幕を閉じました。
今は「函館市青函連絡船記念館摩周丸」として函館港に係留されています。青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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16:16
摩周丸に乗船しましょう。
函館市電1日乗車券を提示すると、入館料500円が450円となり、50円おトクになります。
↓函館市青函連絡船記念館摩周丸
http://mashumaru.com/青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
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受付と売店のある建物に、かつて、摩周丸船内にあった'サロン海峡'で使われていたソファが置かれていて、座ることができます。
-
そして、このポスター。
旅情をそそりますね。 -
青函連絡船.摩周丸。
穏やかな海の航海もあれば‥ -
荒れた海の航海もありました。
ああぁ、津軽海峡~♪
冬景色~♪ -
摩周丸が係留されている場所は、かつて青函連絡船が発着していた'函館第二岸壁'で、今、船にかかるタラップも当時と同じ位置です。
では、乗船しましょう。 -
「摩周丸船内」
館内は展示施設として改造されていて、現役時代とは異なります。
船内展示区画は、2F(船楼甲板)・3F(遊歩甲板)・4F(航海甲板)の3層です。
では、恒例の船内視察を始めましょう。
※画像提供:函館市青函連絡船記念館摩周丸。 -
2F(船楼甲板)
乗船すると、出入口広場と呼ばれるエントランスホールです。
この階には、かつて、普通船室・案内所・売店・食堂・公衆電話・郵便ポストがありました。
現在、2Fの大半の区画は閉鎖されていて、出入口広場のメモリアルシップ摩周丸・機械遺産認定証のモニュメントが見学者を出迎えます。 -
出入口広場には、かつて、ファンネルにかかげられていた「JNR/日本国有鉄道」のマークと、青函連絡船の最後の1年間はJR北海道の管轄となったので、「JR/北海道旅客鉄道(株)」のマークが展示されています。
しかし、残念ながら、このファンネルマークは他船のもので、摩周丸のものは残っていないそうです。
手前は補助汽船(タグボート)で使用されていたアンカー(錨)です。
摩周丸や他の船舶(津軽丸型)は、このJIS型を改良した'国鉄型'と呼ばれる独自の錨を使用していたそうです。 -
出入口広場からの階段を上がって、3F(遊歩甲板)にいきましょう。
-
3F(遊歩甲板)です。
旧グリーン船室の部分が展示室となっています。 -
「青函連絡船のあゆみ」
青函連絡船の歴史をパネルで解説しています。
歴代青函連絡船の模型もあります。 -
「グリーン指定椅子席」
指定席は1人掛けで、65度傾斜し、楽に眠ることが可能です。
ここでは、1+1で横に座席が並んでいますが、現役時代は各席が離れた独立配置になっていました。
後の夜行列車や夜行バスに採用された「ドリームシート」の先駆となるものでした。 -
「普通椅子席」
青函連絡船では、座席のことを椅子席と呼んでいました。
普通椅子席は、回転とリクライニングは不能の、当時の特急列車普通席に順じた椅子席が配置されていました。 -
外された船内設備は、パネルで展示されているので、見てみましょう。
「寝台室」
津軽丸型連絡船の航行時間は3時間50分に短縮されたので、寝台室廃止が検討されましたが、深夜便の運航があったので、廃止にはなりませんでした。
2段ベッド4名定員の寝台室は5室あり、各部屋にはソファ・テーブルも設けられました。 -
「売店」
乗船してすぐの出入口広場にありました。
駅の売店(キヨスク)と同じく、弁当・飲み物・新聞・書籍・雑誌・菓子類・おつまみ類・お土産・記念品のほか、みそ汁やアイスクリームなども販売していました。
売店の近くには、案内所・公衆電話・郵便ポストがあったそうです。 -
「食堂」
船内のほぼ中央、右舷側にありました。
カウンター席10・テーブル席40の食堂では、イカ刺し定食をはじめとした各種定食・ラーメン・カレーライス・スパゲティ、その船舶だけの特別メニューもありました。
厨房では、乗客だけでなく、乗組員の食事も調理していたそうです。 -
「喫茶室」
昭和53年、利用者が減少していた後部グリーン船室の椅子席を一部撤去して設けられました。
カウンター席4・テーブル席16あり、ソファはフカフカで、室内の雰囲気も当時としは豪華だったようです。 -
「乗組員制服」
青函連絡船に従事していた乗組員の制服が展示されていました。
右端が船長(夏服)です。
中央のマリンガールがひときわ目立ちますね。 -
「サロン(無料休憩所)」
3階展示室の前方にある、サロン(無料休憩所)です。
この場所は、かつて船長や航海士の居住区だったそうです。
サロン自体のご利用は無料となっており、一角に喫茶サービスカウンター「ニューサロン海峡」があり、飲み物等が注文できます。 -
「青函連絡船映像ライブラリー」
全部見たいけど、6時間20分かかります。
時間がなくて残念! -
「船のしくみ展示室」
青函連絡船の構造やしくみ(システム)を模型や映像で解説しています。
また、画面左のモニターは非公開区画閲覧システムで、車両甲板・総括制御室、主機関室をモニターカメラを操作して見ることができます。 -
青函連絡船アラカルト。
青函連絡船(2代目津軽丸)の建造工程をパネルで解説しています。 -
青函連絡船の模型。
手前は、現在青森に係留してある八甲田丸。
奥は、昭和42年5月6日に就航した'十和田丸(初代)'です。 -
「飾り毛布」
昔、毛布を折って鶴や蛙などにみたてた飾り毛布で船客をもてなしました。
これは「大輪」と呼ばれる飾り毛布で、青函連絡船/菊池精一.元船客長の手による、当時のベッドメイキングを再現したものだそうです。
展示されている毛布や'カウンターベン'と呼ばれるベッドカバーは、運航当時、実際に使われていたもので、毛布の中央には JNR(日本国有鉄道) のマークが入っています。 -
「自由席グリーン券」
緑色の硬券は、今はもう手に入りません。
昭和63年当時の運賃/料金は‥
普通運賃‥2,000円
寝台料金‥2,400円(上下段同額)
グリーン座席指定席料金‥1,600円
グリーン自由席料金‥1,100円
えっ!
運賃が30年以上たった今の'青函フェリー'と同額だったのですね。 -
では、4F(航海甲板)に上がってみましょう。
-
「操舵室(船橋)」
おっ!
ここは、操舵室ですよ。
操舵室は、船橋(センキョウ)と言い、操船に関する指揮所です。
また、英語の"Bridge"から日本語でも「ブリッジ」と呼ばれることがあります。 -
操舵室では、舵輪をはじめ、各種操船機器にさわることができます。
津軽丸型連絡船(摩周丸)は、安全性に最大の配慮がはらわれるとともに、あらゆる部分で航行のコンピューター制御による自動化がはかられました。
現代のGPSに相当する現在位置測定システムや衝突防止装置も搭載。
乗組員が機器を操作するのは出入港時だけだったそうです。 -
SEIKOの時計。
昔の時計は、こんな奴でしたね。
観光バスの時計も、このタイプでした。
今、これに近い時計‥
SEIKO 電波掛け時計 KX227S 定価(税抜) 10,000円でありました。
欲しいな。 -
操舵室の中央に立ってみましょう。
青函連絡船では、ここが船長の定位置だったようです。 -
冬の津軽海峡は、波が高く、操舵室まで波をかぶることもありました。
すごかったでしょうね。
余談ですが、左の桟橋では、平成20年8月30日に放送された「NHK第40回思い出のメロディー」で、石川さゆりさんが「津軽海峡・冬景色」を歌ったそうです。 -
操舵室左右の窓は開閉が可能です。
離接岸時、たいていの船舶では船長がここから指揮を出します。 -
船長になったつもりで‥
「おい!もっと右だよ、右!あぁ、ぶつかる!」
シクタン船長.解雇! -
バウスラスター副操作装置。
バウスラスターとは、船首部の補助推進装置(横向きのスクリュー)で、離接岸時の操船に使用します。
バウは船首・スラスターは補助推進装置のことです。 -
操舵室の灰皿。
国鉄JNRのロゴいりで、鉄道車両にとりつけられた物と同じです。
当時は喫煙しながらでも、仕事できたんだろうなぁ。 -
神棚。
運航の安全を祈願しました。
パンパン.礼。 -
「無線通信室」
無線通信室は操舵室(船橋)のすぐうしろにあります。操舵室と同じく当時のまま残っており、通信士席に座って、モールス信号の体験(打鍵)もできるんです。 -
乗組員様休憩用席。
座席が国鉄車両チックですね。 -
「普通座席」
青函連絡船では、座敷を座席と呼んでいました。
船旅の基本ともいえる、大部屋雑魚寝の普通船室です。
右舷後部の普通座席をモデルにして、4Fに復元しました。 -
普通船室で寛ぐ筆者。
こんな風に横になって、往時の青函連絡船の旅を偲ぶことができます。 -
晩年に就航していた就航船がパネルで掲示されていました。
青函連絡船の終航後、就航船がどうなったのか?
ウキで調べてみると、全ての船舶の売却が決まったものの、先は色々と波乱万丈な船生であったようです。
長い文章(これでもかなり省略した)で恐縮ですが、見てみましょう。
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「八甲田丸」
昭和63年7月9日-9月18日・青函トンネル開通記念博覧会の青森会場にパビリオンとして係留・展示。
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平成1年9月-平成2年5月・三菱重工横浜製作所にて博物館船への改造工事が実施。
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平成2年7月 - 展示施設として一般公開開始。
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平成11年4月・船体の所有権が青森市に移る。
運営を「青森ウォーターフロント開発」に委託。
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平成15年4月1日・青森ウォーターフロント開発の自己破産に伴い、運営を「みちのく北方漁船博物館」に委託。
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平成18年4月1日・「特定非営利活動法人あおもりみなとクラブ」に運営を委託。
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平成23年7月24日・ 函館市青函連絡船記念館摩周丸や可動橋と共に「機械遺産44番」に認定。
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平成24年7月31日・羊蹄丸で展示されていた"青函ワールド"の展示物を八甲田丸に移設し、八甲田丸での「青函ワールド」の展示が開始。
このとき羊蹄丸から搬出されたグリーン自由椅子席2脚も展示開始。
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「大雪丸」
昭和63年4月4日・東京ホテルシップに売却のため、タグボートに曳航されて函館を去る。
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東京湾浦安沖(東京ディズニーランド沖)で海上ホテルとして使用する計画が発表され、改造のため日本鋼管造船所(横浜市鶴見区)に移動。
しかし停泊海域の問題で行政の許可が下りない状態となる。
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平成5年・東京ホテルシップが倒産。
大雪丸はそのまま日本鋼管に放置される。
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平成8年・ 日本鋼管が大雪丸の解体を発表。
それに対し長崎市のハヤシマリンカンパニーが海上ホテルとして大雪丸の購入を決定し、改装後長崎市へ曳航され、長崎市小曽根町で海上ホテル「ホテルシップヴィクトリア」(客室55室・大小宴会場・結婚式場)として開業する。
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平成15年7月31日・ハヤシマリンカンパニーが倒産。
整理回収機構が資産を引き継ぎ、大雪丸はソラーレ ホテルズ アンド リゾーツが購入。
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平成16年・「ホテルシップヴィクトリア」の営業再開。
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平成17年12月20日・「ホテルシップヴィクトリア」の営業終了。
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平成20年5月2日・中国の船舶会社が買収し、福建省に回航。
その後、福建省の海岸にて座礁させられているとの話だが、詳細は不明。 -
「摩周丸」
昭和63年7月9日-9月18日・青函トンネル開通記念博覧会の函館会場にて展示。
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平成1年7月・JR北海道と函館市及び函館商工会議所などが第3セクター「函館シーポートプラザ」を設立。
摩周丸の船体はJR北海道から函館シーポートプラザへ売却。
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平成2年・函館どつくにて展示船への改装が行われる。
乗船口付近の改装、旧消音機室のホールへの改装、旧船長室・航海士室付近の窓の大型化と部屋割の変更、展示室となった旧グリーン指定席・寝台室の部屋割りの変更はこの時点で施工された。
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平成3年4月26日・旧函館桟橋駅の跡地で連絡船乗り場・待合室棟を改装した函館シーポートプラザが運営する「メモリアルシップ摩周丸」として一般公開を開始。
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平成13年8月・「メモリアルシップ摩周丸」の運営会社であった函館シーポートプラザが、多額の負債のため摩周丸の買い取りを函館市へ打診。
函館シーポートプラザ側からは3億8000万円での船体購入が打診され、初期リニューアル費用等を加え総額4億6000万円にも達することから購入の是非を巡り賛否両論が上がったものの、函館市は後に保存活用の為購入する事を決定。
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平成14年11月30日・メモリアルシップ摩周丸としての営業が終了。
函館シーポートプラザは函館市へ摩周丸を譲渡し、翌年には会社整理をして解散。
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平成15年1月17日 -・摩周丸が船体の補修を含めたリニューアルを行うため、タグボートに牽かれ函館どつくへ回航。
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平成15年4月19日・施設名称を「メモリアルシップ摩周丸」から「函館市青函連絡船記念館摩周丸」と改めリニューアルオープン。
管理運営は函館市から財団法人函館市文化・スポーツ振興財団へ委託。
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平成17年4月1日 - 「クイーンズポートはこだて」のオープンに合わせ、函館市青函連絡船記念館摩周丸の運営が"函館市"から指定管理者である「ワールドクラシックカーミュージアム函館」へ移行。
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平成20年3月31日・「クイーンズポートはこだて」が集客の伸び悩みと収益の見通しが立たなくなり閉館。
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平成20年4月1日・函館市青函連絡船記念館摩周丸の指定管理者が「ワールドクラシックカーミュージアム函館」から特定非営利活動法人 「語りつぐ青函連絡船の会」に移行し、資料整理等のため一時休館。
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平成20年4月3日・新指定管理者のもとで仮オープン。
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平成20年6月15日・リニューアルオープン。
シーサイドサロンの一角に「ニューサロン海峡」オープン。
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平成21年2月6日 ・ 経済産業省から館内の青函連絡船に関する資料および展示物等が近代化産業遺産に認定される。
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2011年(平成23年)7月24日 - 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸や可動橋と共に機械遺産44番に認定される。
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「羊蹄丸」
昭和63年6月3日-9月18日・「青函トンネル開通記念博覧会」(青函博)でのイベントの一環として「アンコール運航」と銘打って、十和田丸と共に1日計4便の暫定復活運航を行う。最終便は青森発函館行き下り3便。
暫定運航期間中は夜間、函館の桟橋に繋留され、シップホテルとして利用。
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昭和63年7月・日本海事科学振興財団(船の科学館)が購入。
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昭和63年9月・船体引渡し。ディーゼル機関車DE10 30と客車スハフ44 25積載。
当初平成6年開催を目指していた東京都主催の「世界都市博覧会」での展示公開準備のため三井造船千葉事業所へ回航、そのまま係船。
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平成4年5月15日-8月15日・イタリア、ジェノヴァ国際博覧会の日本館パビリオンとなる。
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平成7年5月31日・当初計画から2年延期の平成8年開催予定の「世界都市博覧会」が、青島幸男東京都知事が同博覧会の中止を公約に当選し、中止決定。
羊蹄丸公開も白紙撤回された。
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平成8年3月22日・船の科学館別館(フローティングパビリオン羊蹄丸)として一般公開。
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平成20年3月7日・青函連絡船100周年記念行事を羊蹄丸・八甲田丸・摩周丸それぞれの会場で同時に行った。
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平成23年7月1日・船の科学館のリニューアルに合わせ、同年9月30日限りで閉鎖することを発表。
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平成23年9月30日・15時45分から休館記念式典として満船飾、出港の模擬実演などを実施し、17時を以て船の科学館別館としての保存展示を終了。
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平成23年11月8日・愛媛県新居浜市『えひめ東予シップリサイクル研究会』への無償譲渡が決定。
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平成24年3月25日・解体のため午前8時30分船の科学館より 曳航船'とよら丸'の曳航にて出発、29日、新居浜東港に到着。
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平成24年4月27日-6月10日-・新居浜市制施行75周年記念、新居浜高専創立50周年記念事業の一環として、新居浜東港黒島埠頭にて最後の一般公開。
最終日には、国鉄社旗の掲揚、青函連絡船としての最終便の出航時刻に合わせ17時に函館出航の模擬が行われた。
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平成24年6月・一般公開終了後、車両甲板にあった「青函ワールド」のセットならびに「青函ワールド」ミニシアター観賞用のグリーン自由椅子席3脚搬出し青森の'八甲田丸'へ移送。
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平成24年7月・香川県多度津町の宮地サルベージの岸壁にて解体工事開始。
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平成25年4月.解体終了。
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平成25年11月14日・この解体作業がシップリサイクル条約(未発効)に沿って完全実施されたことを日本海事協会が認定。
この条約で要求されるIHM, SRP及びSRFPへの適合鑑定が同一船舶に対し完全実施されるのは世界初であった。 -
「十和田丸」
昭和63年6月3日-9月18日・「青函トンネル開通記念博覧会」(青函博)でのイベントの一環として「アンコール運航」と銘打って、十和田丸と共に1日計4便の暫定復活運航を行う。
暫定運航期間中は夜間、青森の桟橋に繋留され、シップホテルとして利用。
▼
平成2年3月-平成4年1月・日本旅客船に売却、ジャパニーズドリームと改名し、
横浜・神戸間のクルーズ客船として運航された。
▼
平成7年5月・アメリカのリゾート開発会社に購入され、フィリピンに向けて自力航行で旅立つ。
フィリピンに到着後は船名も「フィリピンドリーム(Fhilippine Dream)」と改名され、セブ島に付属するマクタン島に係留の上、カジノ・ホテルシップとして数年間使用されていたが、税金の滞納等で当局に差し押さえられ営業も休止し、マクタン島沖合で放置状態となる。
▼
平成20年8月・バングラデシュのチッタゴン船舶解体場へ移送され、解体。
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「石狩丸」
青函連絡船の主力船舶となった津軽丸型建造終了後、車両航送船として旅客扱いはしない車両渡船として建造され、後に津軽丸型船舶より簡素な旅客設備を設けた、車載客船に改造されました。
▼
昭和63年7月-9月・北海道 広尾町で開催された十勝海洋博覧会で十勝港第3埠頭で展示公開され、夜間はシップホテルとしても使用された。
▼
昭和63年10月・大阪の酒本商事に売却され、関西国際空港の工事用ホテルシップとして使用予定だったが、実現せず、使用されないまま香港の会社に売却。
更に、キプロスの船会社に売却されて「LADY TERRY」と改称。
▼
平成2年・ギリシャの船会社「POSEIDON LINES Shipping」に売却され、「LASITHI」と改名するとともにカーフェリーに改造され使用。
▼
平成4年・「SEA HARMONY II」と改称され、地中海航路で使用。
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平成13年・「OLYMNPIA I」に改称。
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平成14年・地中海航路が休止した後、ヨーロッパやアフリカの船会社にチャーターされ、地中海・紅海などで使用。
▼ふ
平成18年6月・インドで解体。 -
「桧山丸」
建造当初は旅客扱いをしない車両渡船でしたが、石狩丸と同じく車載客船に改造されました。
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昭和63年8月・財団法人少年の船協会へ2億8千万円で売却され、改造後、平成元年3月に青少年研修船「21世紀号」として再就航。
予想以上に運航経費がかさみ、平成4年係船。
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平成11年4月・韓国企業が6千万円で購入し、釜山-馬山間でフェリーとして運航する予定だったが中止。
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平成12年・シンガポールのPrima Bridge Island Pte.の保有船となりカーフェリー「RISING STAR III」となる。
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更にインドネシアのフェリー運航会社PT Prima Vistaに売却され、「Mandiri Nusantara」に改称。
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平成21年5月31日・スラバヤのタンジュン・ペラ港から東カリマンタンのバリクパパンへの航海の途中、カラミアン島沖で車両甲板にあった車両から出火し、炎上ののち船体は全焼した。
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「空知丸」
こちらも、旅客扱いは行わない車両渡船として建造。
車載客船には改造されませんでした。
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昭和63年8月・小松耀に売却され、神奈川県の産業廃棄物業者・三友プラントサービスが川崎―苫小牧間のコンテナ輸送や、海上での廃棄物処理をする等の計画も取りざたされた。
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平成2年8月・ギリシャの船会社「POSEIDON LINES Shipping」に売却され、客室を装備しカーフェリーに改造され、「SEA SERENADE」と改称し、黒海航路で使用された後、地中海航路などで使用された。
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平成16年・韓国の船会社に売却。
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平成18年・ギリシャの船会社に売却され、「MARINOS D」に改称。
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平成23年末・トルコの会社に売却。
▼
平成24年7月・イスタンブール近郊のドックで解体。 -
「あなたの愛車は豪華で安全な国鉄連絡船で!!」
鉄道連絡船として有名な青函連絡船ですが、民間の自動車フェリーに対抗して、昭和42年から自動車航送(乗用車のみ)を行いました。
乗用車の航送料金は‥
車の長さ3mまでが9,700円。
4mまでが12,900円。
5mまでが16,200円。
5mをこえ5.3mまでが21,100円でした。
航送料金には運転する人1名の運賃が含まれております。
また、自動車以外で、自転車は700円。
オートバイ&スクーターは125cc以下が1,100円・125cc超は2,200円で、いずれも乗船者の運賃別であったそうです。 -
「遊歩甲板自動車搭載区画」
自動車航送開始当初は、プロムナードデッキ後部に6台の乗用車を搭載し、昭和46年からはデッキを拡張して12台積むようになりました。 -
救命浮輪です。
-
青函連絡船の各船舶には、イルカ+各船舶独自のデザインによるシンボルマークが掲げられました。
摩周丸は、摩周湖+イルカです。 -
甲板に出ました。
そろそろ出航の時間です。(妄想)
出航の儀(単に眺めるだけ)に参列しましょう。
ちなみに、左の桟橋は新たに建設された外洋クルーズ船桟橋だそうです。 -
ゴゴゴゴォー
(妄想)
もう、二度と航行することがない「摩周丸」かと思ったのですが‥ -
ゴゴゴゴォー
なんと、摩周丸が動いていますよ!
自力航行ではありませんが、3隻のタグボートによる曳航航行によって、函館湾を航行する摩周丸。
摩周丸の横の桟橋が供用開始となり、外国のクルーズ船が入港するようになるので「今後は客船の入港が増えるのできれいにしましょう」となったのがきっかけで、令和2年2月5日、摩周丸は17年ぶりのドック入りをし、船体塗装改修などを行いました。
これは、感激!ですね。
※北海道放送で放送された画像。
フォートラベル利用規約第7条該当の恐れで削除。 -
左舷の甲板です。
そろそろ接岸の時間です。(妄想)
接岸の儀(単に眺めるだけ)に参列しましょう。 -
起立して、神聖なる接岸の儀(単に眺めるだけ)に参列する筆者。
-
接岸完了。
パチパチパチ‥
妄想です。 -
名残惜しいですが、下船しましょう。
後で知ったのですが、4階-屋上(コンパス甲板)の見学をしていませんでした。
ちょっと、時間が少なかったですね。
また、再訪しましょう。 -
売店にあった、昭和57年の時刻表。
北海道内の特急/急行列車から青函連絡船への乗継案内が掲載されています。
函館まで、釧路から'特急おおぞら'で9時間20分。
網走から'特急おおとり'で10時間26分かかって函館に着いていました。
これ、欲しいのですが、非売品でした。 -
別の書籍を購入しました。
青函連絡船の人びと‥1,404円
青函連絡船100年‥300円 -
17:06
摩周丸よ。
今更だけど、お疲れ様。
そして、乗ったことなかったけど、ありがとう。 -
では、歩きましょう。
函館市のマンホールはイカのデザインです。 -
「函館朝市」
さすがに、この時間ではお店、やっていませんね。 -
「朝市食堂」
イカ刺し丼などが、500円~
お腹すいたけど、次があるので我慢.我慢‥朝市食堂 二番館 グルメ・レストラン
-
朝市食堂の他、海鮮食堂が並んでいる建物を覗いてみました。
今の時間は、やっている店が少ないですね。 -
「函館駅」
明治24年に開業。
今の駅舎は5代目となり、平成15年6月21日から供用開始。
この駅舎は、JR北海道が提携しているデンマーク国鉄との共同作業によりデザインされ、新日鐵住金TranTixxiiチタンのパネルが特徴的な外周の壁面は、海岸沿いの腐食環境にあっても、美観が維持されております。函館駅 駅
-
17:12
函館市電の函館駅前停留所にやって来ました。函館市電 函館駅前停留場 駅
-
ここで、函館市電1日乗車券の登場です。
もう、夕方ですが、3回乗れば元がとれます。
市電専用1日乗車券‥600円。 -
17:13
電車が来ました。
これは、アルナ車両が開発したリトルダンサーシリーズ.タイプC2の函館市電9600形.らっくる号ですね。
平成7年3月に導入された函館市電初の初の全面低床車であり、北海道初の超低床形電車なんだそうです。
では、乗りましょう。
①函館市電.5系統.湯の川行
函館駅前.17:15→五稜郭公園前.17:32
[乗]函館市企業局交通部:9601A -
出発進行!
ブオォォォォー
~と、モーター音(吊り掛けモーター)の音はしません。
新しい電車だから、当たり前か‥ -
ガタン.ゴトン‥
函館も人気の観光地で、市電は混んでいます。
一番後ろを陣取りました。 -
函館市電は、距離制運賃で初乗り200~250円です。
国内の路面電車(軌道)の運賃を調べてみると‥
札幌市交通局‥200円.市電均一
東京都交通局‥170円.荒川線均一
富山地方鉄道‥210円.市内電車均一
万葉線‥200~400円.全線距離制
福井鉄道‥160~400円.全線距離制
豊橋鉄道‥180円.市内線均一
阪堺電気軌道‥200円.全線均一
岡山電気軌道‥100~140円.距離制
広島電鉄‥190円.市内線均一
とさでん交通‥130~480円.距離制
伊予鉄道‥160円.市内電車均一
長崎電気軌道‥130円.全線均一
熊本市交通局‥170円.全線均一
鹿児島市交通局‥170円.全線均一
こうしてみると、だいたい200円前後であることがわかりますね。 -
私の住む横浜市にも市電があったそうだが、昭和47年に全廃となりました。
てな訳で、私にとって、この光景は非日常です。 -
17:32
函館駅前から17分。
五稜郭公園前で下車。
ここで、大半の乗客が下車しました。
次は、五稜郭に行きますが、続きは次回です。
拙い旅行記をご覧下さいまして、誠にありがとうございました。
つづく。函館市電 五稜郭公園前停留場 駅
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この旅行記へのコメント (4)
-
- 長崎マリーンズさん 2020/04/17 10:32:05
- 青函連絡船ですか・・・
- オーヤシクタン様
こんにちは、長崎マリーンズです。
いよいよ函館上陸ということで青函連絡で活躍された摩周丸に乗船?された
来られたのですね!
長崎人としてはホテルビクトリアという名称に反応しています。私が小学生の頃に
確かオープンした記憶があり、元職場の上司の娘さんがここで挙式をされたと
言っておられました。営業終了後、いつの間にか空き地になってしまいましたが・・・
羊蹄丸は東京に旅行に連れて行ってもらった際に確か入って気がします。もう
居なくなっていたとは知りませんでした・・・
函館市電は大学のサークル旅行で行った際に利用しましたが、長崎の路面電車
に慣れてしまっている人間が乗ってしまうと料金を見て「高すぎ!」と絶叫して
しまいます。まあ長崎もこの10年程度で100円からどんどん値上げしていますが・・・
最近ではいつ乗っても混雑している路面電車がスカスカになっていて市民の間では
珍現象とまで騒がれています笑
先日のホテル竜飛の送迎バスを見て当社所有の三菱ふそうの小型バスを思い浮かんで
しまいました(24名乗り)。近年は各メーカー共に箱型の小型バスの製造を終了
していて所謂マイクロバスにシフトしていますが、マイクロバスはトランクが無い
タイプが多くどちらかと言えば送迎メインになってしまい、荷物がある少人数グループ
には向きません。しかしながら最近は少人数での旅行が増えているようなので
小型・中型バスの需要は高まっております(3月以降コロナで殆ど動いておりません
が)
さて、先月のダイヤ改正に合わせて長崎駅及び隣の浦上駅が高架化されました。
新幹線はまだ揉めに揉めておりますが、是非コロナが終息しましたら新しくなった
長崎駅の取材にお越しくださいませ。
仕事がほとんどキャンセルになって
暇を持て余している長崎マリーンズ
- オーヤシクタンさん からの返信 2020/04/17 20:11:11
- RE: 青函連絡船ですか・・・
- 長崎マリーンズ様、こんばんは。
オーヤシクタンでございます。
函館に来たら、船好きとしては、青函連絡船'摩周丸'は外せません。
青函連絡船末期の就航船のその後を紹介しましたが、その中にあるのが、長崎の'ホテルビクトリア'です。
ご存じだと思うのですが、元大雪丸が千葉県浦安に海上ホテルとして使う予定がダメになり、横浜市鶴見(私の地元)の日本鋼管に放置され、解体されるところを長崎のハヤシカンパニーが購入を名乗り出て、大雪丸は曳航されて長崎へ移動。
ホテル'ビクトリア'になったのですが、このハヤシカンパニーは倒産。
後にソラーレ ホテルズ アンド リゾーツが大雪丸を購入し、ホテルが再開されますが、それも1年ほどと短い期間で終わりました。
私の手元に、長崎でホテルとなった大雪丸の写真(書籍)がありますが、真っ白に赤いラインが入れられた新たな姿となってホテルとして活躍したのですね。
羊蹄丸は、船の科学館別館として係留されました。
この時、エンジン等は外されていたのですが、羊蹄丸はイタリアに遠征することになります。
イタリアジェノバで開かれた「国際 海と船の展覧会」に日本代表の船舶として羊蹄丸が選ばれたのです。
この時、どうやってイタリアへ移送したかと言いますと、特殊な台船に羊蹄丸を載せて、約1ヶ月かけて、イタリアへ移送したそうです。
いやぁ、すごいですよね。
正直、摩周丸の見学は時間が足りませんでした。
また、今度は半日くらい時間をとって見学にいくつもりです。
そして、函館市電‥
関東人民の私にとって、路面電車は非日常の世界です。
長崎にも路面電車はありますよね。
何気に、国内各地の路面電車の運賃を掲載しましたが、西日本の方が安いですね。
長崎電軌軌道は130円ですか。
ちなみに、長崎は市電ではなく、民間鉄道会社による運行なんですね。
ホテル竜飛の送迎バス‥
三菱ふそうエアロミディMJと言います。
長崎マリーンズ様の会社でも保有しているんですね。
大型観光バスをぶった切ったようなフォルムで内装も大型に劣らず、10〜20名の旅行に最適なバスでした。
同じようなバスで、日野はレインボー7M・いすゞはジャーニーQ・日産ディーゼルはスペースランナー7がありましたが、各メーカー共にこのタイプの小型バスの製造を終了してしまい、葬式の送迎や幼稚園バスなどの形のマイクロバスになってしまいました。
コロナで仕事が激減!
長崎も同じなのですね。
数ヶ月前は訪日観光客で賑わっていた東京も閑古鳥が鳴いています。
いつまで、この状態が続くのやら‥
浦上駅が高架化ですね。
ひと月ほど前に新潟に行きましたが、新潟も高架化が進められており、四国愛媛県の松山も高架化されるようです。
私としては、高校の修学旅行でいった三角屋根の長崎駅に思い出があるのですが、数年前に長崎駅にいったら駅舎は変わっていました。
今後、さらに変わっていくのですね。
ちなみに、修学旅行で乗ったバスは、シルバーブルーの西肥バスでした。
シルバーブルー♪シルバーブルー♪
あなたの夢をあなたの思い♪
あの丘こえて 里こえて♪
とどけてくれる夢のバス♪
あなたと私の西肥バス♪
シルバーブルー♪シルバーブルー♪
バスガイドさんが歌ってくれた、西肥バステーマソング?'シルバーブルー'です。
ご存じでしょうか?
もし、長崎県バス協会の会合か何かで、西肥バスの方とお会いする機会があったら聞いてみて下さい。
おっと、話しが長崎のバスネタになってしまいましたね。
ありがとうございました。
オーヤシクタン。
-
- Akrさん 2020/04/06 17:33:46
- 想いでの青函連絡船
- オーヤシクタンさま
こんにちは。Akrでございます。
懐かしいです、青函連絡船。初めて乗ったのは高校3年の夏。昭和60年でした。
485系のはつかりを降りてから連絡船の長い連絡橋を渡って乗船。確かサロン海峡でコーヒー飲んだ記憶があります。函館港に着くと緩やかにカーブする函館駅のホームが見え、キハ82が待っているのが見えると「北海道へ来た~」って思うんですよね~
そんな旅情をぎりぎり味わえた世代です。
前に函館へ行った時に摩周丸は見学に行きました。オーヤシクタンさまのように詳しく見なかったのが悔しい。けっこう見どころがあったのですね。摩周丸が動いたニュースは私も見ました。無動力でも動けるものなのですね。タグボートも神経使ったことでしょう。生で見たかった。
摩周丸でほとんど1話使ってしまうとはさすがです。
船を語らせたら動かない船でもここまで盛り上げますねえ。
面白かったです。
-Akr-
- オーヤシクタンさん からの返信 2020/04/06 18:45:14
- RE: 想いでの青函連絡船
- Akr様、こんにちは。
オーヤシクタンでございます。
昭和60年と言ったら、在来線列車もまだたくさん走っていた頃ですね。
上野発特急はつかりのドアがプシューと開くと、乗船口に向かって、みんなあのホームを走っていったのですね。
連絡船への通路はホームの海よりなので、一番後ろの車両に乗ったら乗り換えが大変だったことでしょう。
摩周丸記念館で、「青函連絡船の人びと」と言う写真集を買ったのですが、それを見ると、青函連絡船が運航されていた風景がひしひしと伝わってくるんです。
今は船好きトラベラーの私ですが、昭和60年代は高校生で、船にはまったく興味がなく、バイクや車のことばかり考えていた時代です。
当時は船に弱かったということもあり、青函連絡船には乗らずじまいでした。
青森〜函館3時間50分の航海を終えると、函館駅のホームが見え、キハ82が待っている‥
たしか、連絡船深夜便で函館駅に着くと、特急北海と特急北斗がならんでいるのを写真で見たことがあります。
どちらも札幌行きなんだけど、北海は小樽経由で北斗は苫小牧経由と、経由が違うけど行き先が同じ特急が並ぶなんて今の時代ではありえません。
どちらも、食堂車を連結していて、ほっけの塩焼き定食とか食べられたんですよね。
連絡船にも食堂があって、イカ刺し定食とかあったそうです。
実は今回の摩周丸は私個人的には時間が足りませんでした。
博物館とかって結構さらっと見ておしまいなんですが、摩周丸記念館は興味深いものばかりで、その中にビデオプログラムがあって、どれも見たいものばかりだったのですが、全部見ると6時間20分かかってしまいます。
次回は、函館駅で駅弁を買って開館から夕方までじっくりと見学したいです。
1,000円で、年間フリーパス買えるので、函館に住んでいたら間違いなく買いますね。
もう動かない‥
と思っていたのですが、この旅行記を執筆中に色々と調べ事をしていたら、摩周丸が動いた!と言うニュースを見つけました。
もう自力走行はできない船舶なんですが、若者(タグボート)が隠居(摩周丸)に寄り添って航行する姿は感動しました。
青森の八甲田丸もやってほしいですね。
コメントを頂きましてありがとうございました。
旅はまだまだ続きますので、今後もご覧頂けたら幸いです。
オーヤシクタン。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
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