2021/03/16 - 2021/03/16
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オーヤシクタンさん
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この旅行記のスケジュール
2021/03/16
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電車での移動
普通427M.豊岡行 和田山.9:31→豊岡.10:09
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電車での移動
普通167D.浜坂行 豊岡.10:11→餘部.11:05
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第189部-806冊目 4/14
(令和3年4月8日配信)
皆様、こんにちは。
オーヤシクタンでございます。
青春18きっぷを使って格安に山陰地方を訪問し、静かにカニを食べるだけの旅を試みたのですが、なんだかんだで色々と旅程を詰め込んでしまいまして‥
Airline・Sip・Bus・Railway、略して、ASBR乗りまくり&蟹,河豚を食べる旅となりました。
本編は、鉄橋で有名な山陰本線餘部駅で途中下車して周辺を散策します。
拙い旅行記ですが、ご覧頂けたら幸いです。
表紙画像‥山陰本線余部橋梁を渡るキハ47形気動車。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
令和3年3月15日~19日 4泊5日
3月16日(火) 第2日目-2 曇り一時小雨
①普通427M.豊岡行
和田山.9:31→豊岡.10:09
▼
②普通167D.浜坂行
豊岡.10:11→餘部.11:05
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
支出‥0円
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
9:20
皆様、おはようございます。
姫路から播但線に乗って、和田山に着きました。和田山駅 駅
-
あっ!
あれは蒸気機関車時代に使われた給水塔ですね。 -
だいぶ朽ち果てていますが、明治45年築の旧豊岡機関区和田山支区のレンガ造りの車庫が残っています。
和田山駅機関庫 名所・史跡
-
列車が来ました。
乗りましょう。
①普通427M.豊岡行
和田山.9:31→豊岡.10:09
[乗]JR西日本:クハ222-5502 -
9:42
山陰本線/養父→八鹿。
播但線に沿って流れていた円山川は、山陰本線に沿って流れるようになりました。 -
9:54
山陰本線/八鹿→江原。
のどかな田園風景です。 -
10:10
和田山から38分。
豊岡に着きました。豊岡駅 駅
-
さぁ、ここから国鉄形キハをひたすら乗り継ぎますよ。
JR東日本から撲滅したタラコちゃん(キハ47)に乗りましょう。
②普通167D.浜坂行
豊岡.10:11→餘部.11:05
[乗]JR西日本:キハ47-2 -
キハの鉄旅を堪能する筆者。
-
10:21
山陰本線/玄武洞→城崎温泉。
円山川に沿って列車は走ります。
川幅が広くなりましたね。 -
10:24
城崎温泉を発車。
駅前から7つの外湯につながる温泉街を形成し、大谿川沿いの川べりには柳が植えられているのが見えますね。 -
10:25
山陰本線/城崎温泉→竹野。
山の中に入ったと思ったら‥ -
10:36
山陰本線/竹野→佐津。
あっ!
海だ。 -
10:56
山陰本線/香住→鎧。
海沿いの集落を縫うようにして‥ -
10:59
日本海を眺めながら列車は走ります。
いい眺めだ。 -
山陰本線/鎧→餘部。
山陰本線のハイライト‥
余部橋梁を渡っています。
海側を眺め‥ -
山側も眺めます。
余部橋梁を渡り終えると‥ -
11:06
豊岡から54分。
餘部に到着。
下車しました。餘部駅 駅
-
餘部駅には、旧鉄橋の鉄骨を再利用したベンチがあります。
-
ホーム脇には初代余部橋梁時代の線路が残されています。
歩いてみましょう。 -
旧線路を歩いていくと、余部地区と余部湾が一望です。
-
ここから初代余部橋梁(余部鉄橋)です。
展望施設「空の駅」として、平成25年5月に整備されました。 -
こちらは、2代目(現)余部橋梁の線路です。
-
初代余部橋梁は高いフェンスで安全性が確保され、散策路となりました。
歩いてみましょう。 -
歩道の先端に着きました。
先に旧軌道が14m続き、フェンス越しに見えます。 -
初代橋梁の先端付近にエレベーターが設置されました。
以前は、急勾配の歩道を歩いて鉄橋下に行かなくてはなりませんでしたが、今はエレベーターで楽々と上下移動できます。 -
11:16
エレベーターを使うと楽なんですが、ここは集落と駅をつなぐ旧来の道を歩いてみたいと思います。
左の道を下ります。 -
途中に周辺案内図がありました。
-
周辺案内図にあった、初代余部橋梁を渡るキハ65系エーデル車。
当時、余部橋梁観覧の観光列車「あまるべロマン号」が運転されました。
懐かしい風景です。 -
すごい鉄橋ですね。
よく言われる「余部鉄橋」は、余部橋梁の通称/愛称となんだそうで、橋梁の高さは、40mほどあり、ビルに換算すると10階から11階に相当するそうです。 -
途中まで下ると分岐があります。
右へ進むと、余部橋梁が一望できる展望地。
左へ進むと、鉄橋下にいけます。 -
分岐地点の前には、デーンと立ちはだかる初代橋梁の鉄骨がご覧頂けます。
日本海からの強い潮風にさらされる為、サビから鉄を守る「鉄守」と呼ばれる人達の地道な努力があって、完成から100年間現役であり続けたそうです。 -
橋梁の真下です。
現役当時の初代橋梁は線路が下から丸見えで、列車通過時の騒音のほか、列車便所から排出される糞尿等の落下物に、橋梁直下の地元住民は悩まされたそうです。
たしかに、あんな所からウ〇コが落ちてきたら、ひとたまりもありませんね。 -
11:21
ちょっと寄り道。
余部橋梁が一望できる展望地です。 -
あっ!
TWILIGHT EXPRESS 瑞風が‥
言うまでもなく、掲示してあった写真です。 -
初代橋梁は、明治42年に12月16日着工し、長さ310.5m・幅5.3m・高さ41.4mの鋼製トレッスル橋として明治45年1月13日に完成。
そして、同年3月1日に山陰本線の一部として開通しました。 -
2代目の現橋梁は、平成19年3月29日に着工した長さ310.6m・幅7.2m・高さ41.5mのエクストラドーズドPC橋で、平成22年8月11日に切り替え工事が完成し、同年8月12日に開通しました。
-
11:27
エレベーターホールです。
鉄橋上部展望施設へ行くには、高低差約40m・延長約300mある急勾配の上り坂を歩く必要があったため、平成29年11月にエレベーター(愛称:余部クリスタルタワー)が整備されました。 -
エレベーターは無料です。
乗ってみましょう。 -
エレベーターの愛称は余部クリスタルタワーと言います。
ガラス張りになっていて、外が見えるようになっています。 -
あっと言う間に橋上に着きました。
-
下に戻りましょう。
-
11:31
初代橋脚の一部は、下部だけ残されオブジェになっていました。 -
こちらは民間の鉄橋資料館。
鉄道グッズを販売していました。 -
11:35
余部橋梁の下には「道の駅・あまるべ」があります。
▼道の駅・あまるべ
http://michinoeki-amarube.com/道の駅 あまるべ 道の駅
-
道の駅・あまるべには食堂があり、地元の味が楽しめますよ。
ここで食事にしようと考えていたのですが、思ったより時間が押してしまっているので、今回は見るだけです。
▼食堂メニュー
http://michinoeki-amarube.com/menu/ -
余部橋梁の資料がありました。
見てみましょう。
明治44年8月.初代余部橋梁建設の様子。
山陰本線の最難関工事区間に巨大な鉄塔が並び、建設は進みます。
そして、鉄橋は明治45年1月13日に完成しました。 -
初代橋梁が架けられた当時、餘部駅はまだ存在してなく、それまで余部の人々は列車を避けながら鉄橋と4つのトンネルを歩いて、隣の鎧駅まで歩いたのだそうです。
-
不便な生活を解消するため、余部地区の住民は昭和30年頃から国鉄総裁へ陳情し、余部小学校の生徒も当時の兵庫県知事に手紙を書いて設置を働きかけました。
そして、知事が現地を視察し、駅の設置が承認。
北風が吹きつける中、子供達が海岸から駅建設資材の石を運びあげました。 -
当時、子供達が運びあげた石は今も残されています。
-
地元の人々の強い思いが結実して‥
鉄橋完成から47年目の昭和34年4月16日、餘部駅は開業に至りました。
餘部駅開業。
バンザーイ! -
古い鉄道ジャーナル誌。
表紙は初代鉄橋を渡るキハ47ですね。 -
初代鉄橋を渡る特急はまかぜ。
国鉄色のキハ181系特急ディーゼルカーと赤い鉄橋がみごとにマッチしていますね。 -
余部橋梁を渡る新塗装となったキハ181系.特急はまかぜ。
キハ181系は引退してミャンマー国鉄へ譲渡。
初代余部橋梁も平成22年8月11日に2代目橋梁に託し、鉄道橋としての使命を終えました。
旧鉄橋時代に来てみたかったです。 -
=余部鉄橋列車転落事故=
昭和61年12月28日13時25分頃、香住駅より浜坂駅へ回送列車が日本海からの突風にあおられ客車の全車両が台車の一部を残して、橋梁中央部付近より転落。
転落した客車は橋梁の真下にあった水産加工工場と民家を直撃し、工場が全壊、民家が半壊する大惨事となりました。 -
水産加工工場の従業員だった主婦5名と列車に乗務中の車掌1名の計6名が犠牲となりました。
犠牲になられた方のご冥福をお祈りし‥
黙祷。餘部鉄橋事故犠牲者慰霊碑 名所・史跡
-
初代余部橋梁は、「明治末期に東洋一の橋りょうとして建設され、また適切な補修により1世紀にわたりほぼ建設当時の姿を残した貴重な土木遺産」として、平成26年度土木学会選奨土木遺産に認定(登録名:旧余部橋りょう/余部鉄橋)とされたそうです。
余部鉄橋(余部鉄橋空の駅) 名所・史跡
-
岩の割れ目から斜めに生えた松の木。
過酷な条件の中でも、懸命に生きる姿に心を打たれますね。 -
アメリカで製造された初代橋梁の橋脚鋼材は船で運ばれ、ここ余部湾で陸揚げされたそうです。
余部湾をパノラマモードでカシャ。 -
余部橋梁の下には余部集落があります。
JRの駅名は餘部なんですが、この看板は展望施設空の駅の案内なので'余部駅'と表記されていますね。 -
では、歩きましょう。
このマンホールは、旧城崎郡香住町のもので‥
日本海を背景に立つ余部埼灯台・町の花サツキと、かにがデザインされた左上のマークは香住町の観光シンボルマークで、'かすみ'の文字がデザインされています。
平成17年4月1日、城崎郡香住町・美方郡美方町・村岡町の3町が合併して、今は美方郡香美町となりました。 -
海沿い集落特有の焼き杉板の家並みを散策して‥
-
鉄橋下に戻りました。
エレベーターで上に行けますが‥ -
12:03
ここは健康増進の為、歩いて登りましょう。 -
椿の花が美しい。
-
そろそろ、列車が余部橋梁を渡る時間です。
再び、展望地にやって来ました。 -
12:20
あっ!
来ましたよ。 -
余部橋梁を渡るキハ。
グオォォー!
ディーゼルエンジンの音が余部橋梁に響きます。 -
橋梁を渡り終えた列車は、桃観トンネルへ入ります。
トンネルから初代橋梁時代、線路は直線でしたが、2代目橋梁に付け替えられた時にS字となりました。
餘部駅が開設される以前は、歩いて鉄橋を渡り、あのトンネルを抜けて鎧駅へ向かったと言うから驚きです。 -
撮影を終えて駅に向かいます。
左に進むと餘部駅です。
もうひとつ、駅の入口があるみたい。
右へ進んでみましょう。 -
ぐんぐん下っていくと‥
-
集落に出ましたよ。
-
12:29
看板も何もありませんが、公民館の脇が駅入口でした。 -
では、戻りましょう。
-
坂道を登って駅に向かう筆者。
-
ハァハァハァ‥
もうすぐ駅だ。
がんばれ、俺。 -
12:36
餘部駅に戻りました。餘部駅 駅
-
あっ!
あそこにライブカメラがあるよ。 -
イエーイ!
ライブカメラに写る筆者。 -
12:41
列車が来ました。
この後、山陰本線を西へ西へ向かいますが、本編はここまでです。
拙い旅行記をご覧下さいまして、誠にありがとうございました。
つづく。
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第189部.西日本ASBR乗りまくり&蟹,河豚食旅。
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この旅行記へのコメント (2)
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- Tagucyanさん 2021/04/08 18:26:01
- 餘部鉄橋
- オーヤシクタン様
こんばんは
播但線で和田山まで行ったので、もしやと思ったら餘部鉄橋ですね。
いまや餘部鉄橋周辺はすっかり観光地化されてしまいましたが、それより全然前に1度だけ餘部駅で降りたことがあります。当然古い鉄橋の時代。橋の架け替えなど計画もなかった頃で、いまのような新しい橋ができるなんて想像もできなかったです。
餘部駅への上り下りも、オーヤシクタンさんが歩いた獣道のような細い坂道しかなく、バリアフリーとかそんな発想はなかったですね。
当時は観光施設のようなものは一切なく、昔ながらの山陰の一集落でして、そんな中を散歩してました。その印象が非常に強いのですが、なにしろ当時は鉄道旅にカメラを持って行かなかったので、写真の類いが一切残ってないのがとても残念なんですよねえ。
---
Tagucyan
- オーヤシクタンさん からの返信 2021/04/08 22:08:43
- RE: 餘部鉄橋
- Tagucyan様、こんばんは。
オーヤシクタンでございます。
姫路から姫新線で山陰入りするつもりが、播但線だと103系に乗れるので和田山へ向かいました。
そして、余部橋梁は前から行ってみたかったのですが、豊岡-鳥取は列車の本数が少なくてなかなか行けずにいるうちに鉄橋がコンクリート橋になってしまい、ようやく行くことができました。
昔は何もない静かな駅だったろうと思います。
今は旧橋が一部残されて観光地となり、数年前にエレベーターが完成し急な坂道を登る必要はなくなりました。
平日だったのでしずかでしたが、天気の良い週末はたくさん人が押し寄せるんでしょうね。
この後、山陰本線をひたすら西へ向かいます。
ご期待頂けたら幸いです。
ありがとうございました。
オーヤシクタン。
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