2022/06/02 - 2022/06/02
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オーヤシクタンさん
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2022/06/02
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バスでの移動
函館バス:95A系統.湯川中学校前行 函館駅前.14:00→植物園前.14:21
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第228部-1046冊目 13/16
(令和4年9月26日配信)
皆様、こんにちは。
オーヤシクタンでございます。
一昨年購入したJR東日本の株主優待券‥
コロナで有効期限が1年延長されたのですが、延長期限の2022年5月末日が迫ってきました。
これは使わなきゃ勿体ない!
色々調べて、北海道函館に行くことが決定!
湯の川温泉でまったりしましょう。
さて、JR株主優待使うなら東北/北海道新幹線で行くのが一般的ですが、またまた変態な行程で函館へ向かう旅です。
本編は、青函連絡船として活躍した摩周丸を見学します。。
表紙画像‥青函連絡船として活躍した摩周丸。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
令和4年5月29日-6月3日 5泊6日
6月2日(木) 第5日目-2 はれ
①函館バス:95A系統.湯川中学校前行
函館駅前.14:00→植物園前.14:21
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
摩周丸記念館‥1,000円
函館バス‥270円
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
11:09
は~るばる来たぜ~ 函館~♪
北海道函館に滞在中です。
函館駅にやって来ました。
この駅舎は、JR北海道が提携しているデンマーク国鉄との共同作業によりデザインされ、新日鐵住金TranTixxiiチタンのパネルが特徴的な外周の壁面は、海岸沿いの腐食環境にあっても、美観が維持されております。函館駅 駅
-
函館市のマンホールは、イカがデザインされていますね。
カラー版や他にも色々なデザインのマンホールがあるんですよ。
では、歩きましょう。 -
函館駅から函館朝市を抜けていきます。
函館朝市 名所・史跡
-
11:20
=青函連絡船/摩周丸=
青函連絡船は青函トンネルが開通し、1988年(昭和63年)3月13日に津軽海峡線が開業する事から、惜しまれつつも82年間の歴史に幕を閉じました。
今は「函館市青函連絡船記念館摩周丸」として函館港に係留されています。
= 摩周丸 =
船種‥車載客船
船籍‥日本/函館
運用者‥北海道旅客鉄道
総トン数‥5,363t
全長‥132m
全幅‥17.9m m
建造所‥三菱重工神戸造船所
就航‥昭和40年6月30日
終航‥昭和63年3月13日青函連絡船記念館 摩周丸 美術館・博物館
-
青函連絡船.摩周丸の船尾です。
船尾扉は洞爺丸転覆事故を教訓につけられました。 -
=可動橋=
岸壁と船の間、貨車を積み込むための橋です。
大正14年5月20日の竣工で、同年8月1日から正式に車両航送が開始されました。
この可動橋は、摩周丸および青森の可動橋・八甲田丸とともに、平成23年8月7日、日本機械学会の機械遺産に認定されています。 -
あっ!
大きなサギがいるよ。 -
只今より摩周丸を見学します。
いざ、入場。
▼函館市青函連絡船記念館摩周丸
http://mashumaru.com/ -
受付と売店のある建物に、かつて、摩周丸船内にあった'サロン海峡'で使われていたソファが置かれていて、座ることができます。
-
ここから妄想タイム。
12時10分出航の摩周丸は只今改札中。
第1乗船口に向かいます。 -
11:32
摩周丸が係留されている場所は、かつて青函連絡船が発着していた'函館第二岸壁'です。
当時と同じ位置にタラップが架けられています。
では、乗船しましょう。 -
=摩周丸船内=
館内は展示施設として改造されていて、現役時代とは異なります。
船内展示区画は、2F(船楼甲板)・3F(遊歩甲板)・4F(航海甲板)の3層です。
摩周丸を見学するのは2回目となります。
▼前回の摩周丸見学。
https://4travel.jp/travelogue/11602724 -
=2F(船楼甲板)=
乗船すると、出入口広場と呼ばれるエントランスホールです。
この階には、かつて、普通船室・案内所・売店・食堂・公衆電話・郵便ポストがありました。
現在、2Fの大半の区画は閉鎖されていて、出入口広場のメモリアルシップ摩周丸・機械遺産認定証のモニュメントが見学者を出迎えます。 -
出入口広場には、かつて、ファンネルにかかげられていた「JNR/日本国有鉄道」のマークと、青函連絡船の最後の1年間はJR北海道の管轄となったので、「JR/北海道旅客鉄道(株)」のマークが展示されています。
しかし、残念ながら、このファンネルマークは他船のもので、摩周丸のものは残っていないそうです。
手前は補助汽船(タグボート)で使用されていたアンカー(錨)です。
摩周丸や他の船舶(津軽丸型)は、このJIS型を改良した'国鉄型'と呼ばれる独自の錨を使用していたそうです。 -
摩周丸は三菱重工神戸造船所において第955番船として昭和40年(1965年)に建造されました。
-
これは、現役時代の客室案内図です。
-
現役時代の2F(船楼甲板)にあった、船内設備をパネルで見てみましょう。
=売店=
乗船してすぐの出入口広場にありました。
駅の売店(キヨスク)と同じく、弁当・飲み物・新聞・書籍・雑誌・菓子類・おつまみ類・お土産・記念品のほか、みそ汁やアイスクリームなども販売していました。
売店の近くには、案内所・公衆電話・郵便ポストがあったそうです。 -
=食堂=
船内のほぼ中央、右舷側にありました。
カウンター席10・テーブル席40の食堂では、イカ刺し定食をはじめとした各種定食・ラーメン・カレーライス・スパゲティ、その船舶だけの特別メニューもありました。
厨房では、乗客だけでなく、乗組員の食事も調理していたそうです。 -
=普通座席=
青函連絡船では、座敷を座席と呼んでいました。
船旅の基本ともいえる、大部屋雑魚寝の普通船室です。
右舷後部の普通座席をモデルにして、4Fに復元しております。 -
=普通椅子席=
青函連絡船では、座席のことを椅子席と呼んでいました。
普通椅子席は当時の特急列車普通席に順じた、回転とリクライニング不能の椅子席が配置されていました。
ちなみに普通乗船運賃は、1,500円だったそうです。 -
出入口広場からの階段を上がって、3F(遊歩甲板)にいきましょう。
-
3F(遊歩甲板)です。
=案内所=
青函連絡船記念館摩周丸となってからの案内所です。
現役時代の案内所は、2F(船楼甲板)出入口広場にありました。 -
=グリーン指定椅子席=
ここでは、1+1 1で横に座席が並んでいますが、現役時代は各席が離れた独立配置になっていました。
後の夜行列車や夜行バスに採用された「ドリームシート」の先駆となるもので、グリーン指定席料金は1,600円でした。 -
指定席は1人掛けで、65度傾斜し、楽に眠ることが可能です。
-
青函連絡船や昭和の特急/急行列車のグリーン車には、肘掛けにも白いカバーがあり、高級感を醸し出していましたね。
-
足元広~い。
-
=グリーン自由椅子席=
グリーン船室自由席は、2人掛けリクライニングシートを装備。
グリーン自由席料金は1,100円でした。
※画像は、青森/八甲田丸のものです。 -
=喫茶室=
昭和53年、利用者が減少していた後部グリーン船室の椅子席を一部撤去して設けられました。
カウンター席4・テーブル席16あり、ソファはフカフカで、室内の雰囲気も当時としは豪華だったようです。 -
=寝台室=
津軽丸型連絡船の航行時間は3時間50分に短縮されたので寝台室廃止が検討されましたが、深夜便の運航があったので、廃止にはなりませんでした。
2段ベッド4名定員の寝台室は5室あり、各部屋にはソファ・テーブルを設置。
寝台料金はベッド単位で上下段共に2,400円 でした。 -
=飾り毛布=
昔、毛布を折って鶴や蛙などにみたてた飾り毛布で船客をもてなしました。
これは「大輪」と呼ばれる飾り毛布で、青函連絡船/菊池精一.元船客長の手による、当時のベッドメイキングを再現したものだそうです。
展示されている毛布や'カウンターベン'と呼ばれるベッドカバーは、運航当時、実際に使われていたもので、毛布の中央には JNR(日本国有鉄道) のマークが入っています。 -
=船長室=
操舵室下の角の位置にありました。
応接間に仮眠用ベッドも置かれていて立派です。
やはり、大きな船を統括する船長は偉かったんですね。 -
操舵室の下、元々船長・航海士室だった区画は、現在3階サロンとなりました。
-
窓が大きく改造されたので、現役時代とは少し雰囲気が変わっています。
-
青函連絡船や船舶・鉄道に関する書籍コーナー。
こりや、一日いても飽きないな。 -
=洞爺丸=
昭和22年11月21日に就航した洞爺丸(3,898t)。
戦災で壊滅した青函連絡船の復興のため、当時の国鉄であった運輸省鉄道総局がGHQの許可を得て建造した車載客船4隻の第1船として就航。
昭和29年9月26日、洞爺丸台風による暴風と高波で転覆・沈没。
死者・行方不明者あわせて1,155名!
日本海難史上かつてない海難事故を起こした悲劇の船として、歴史に名を残すことになりました。 -
=乗組員制服=
青函連絡船に従事していた乗組員の制服が展示されていました。
右端が船長(夏服)です。
中央のマリンガールがひときわ目立ちますね。 -
=トイレ=
現役時代と場所が異なるので、記念館になってから設置されたものみたい。 -
=徒歩甲板=
出航時、別れのワルツ(蛍の光)が流れ、多くの方が、別れを惜しみました。 -
=遊歩甲板自動車搭載区画=
自動車航送開始当初は、プロムナードデッキ後部に6台の乗用車を搭載し、昭和46年からはデッキを拡張して12台積むようになりました。 -
「あなたの愛車は豪華で安全な国鉄連絡船で!!」
鉄道連絡船として有名な青函連絡船ですが、民間の自動車フェリーに対抗して、昭和42年から自動車航送(乗用車のみ)を行いました。
乗用車の航送料金は‥
車の長さ3mまでが9,700円。
4mまでが12,900円。
5mまでが16,200円。
5mをこえ5.3mまでが21,100円でした。
航送料金には運転する人1名の運賃が含まれております。
また、自動車以外で、自転車は700円。
オートバイ&スクーターは125cc以下が1,100円・125cc超は2,200円で、いずれも乗船者の運賃別であったそうです。 -
青函連絡船の各船舶には、イルカ+各船舶独自のデザインによるシンボルマークが掲げられました。
摩周丸は、摩周湖+イルカです。 -
そろそろ出航の時間です。(妄想)
出航の儀(単に眺めるだけ)に参列する筆者。 -
ゴゴゴゴォー
離岸成功。(妄想)
パチパチパチ‥
右の桟橋は、外洋クルーズ船桟橋です。 -
=青函連絡船のあゆみ=
青函連絡船の歴史をパネルで解説しています。
歴代青函連絡船の模型もあります。 -
=比羅夫丸=
明治41年3月7日、国鉄青函連絡船はイギリスで建造されたタービン船、比羅夫丸(1480t)と僚船/田村丸の就航で始まりました。
比羅夫丸は青森-函館間を4~5時間で結びましたが、大型船の着ける桟橋はまだなく、小蒸気船やはしけで乗り移っていたそうです。 -
=摩周丸=
明治41年、青函連絡船初の比羅夫丸就航から57年‥
津軽丸型第5番船となる2代目.摩周丸が昭和40年6月30日に就航。
昭和63年3月13日の終航までの23年間活躍し、青函連絡船最後の船団の一隻となりました。 -
=船のしくみ展示室=
青函連絡船の構造やしくみ(システム)を模型や映像で解説するコーナーです。 -
4F(航海甲板)に上がってみました。
=無線通信室=
当時のまま残っております。
通信士席に座って、モールス信号の体験(打鍵)もできるんです。 -
通信士席に座って、モールス信号(打鍵)を行う筆者。
はい、こちら摩周丸。
えっ!
ラーメンに餃子?
うちはラーメン屋じゃないんですよ。(笑) -
乗組員様休憩用席。
座席が国鉄車両チックですね。 -
ブラタモリの収録。
タモリさん、楽しそう。 -
気象記録簿。
航海時の気象は全て記録されていました。
見てみましょう。 -
年は不明ですが、冬期1月9日の記録。
15:00に荒天警戒部署発令と記され、19:00に5mの波を記録しています。
冬の津軽海峡の厳しさを物語っていますね。 -
=操舵室(船橋)=
操舵室は、船橋(センキョウ)と言い、操船に関する指揮所です。
また、英語の"Bridge"から日本語でも「ブリッジ」と呼ばれることがあります。 -
操舵室の中央に立ってみましょう。
青函連絡船では、ここが船長の定位置だったようです。 -
操舵室左右の窓は開閉が可能。
離着岸時は、この位置から船長が指揮を出します。 -
=青函航路主要通過地点時刻表=
一般向けの青函連絡船の時刻表は、青森・函館の発着時間しか記されませんが、船は定点通過時刻に基づいて運航されます。 -
=コンパス甲板=
操舵室の屋根上にあたる甲板です。
方位を測る磁石(磁気羅針盤)が設置されていることから、コンパス甲板と呼ばれています。 -
建物の5階に相当するコンパス甲板からは、函館港と函館山が一望!
この素晴らしい景色は「はこだてロマンティック・ビュー」と、音楽評論家の湯川れい子さんが命名されました。 -
=多目的ホール=
普通座席(復元)やキッズコーナー、イベントなどを行うホールです。
現役時代の摩周丸の船内設備などをパネルで紹介するコーナーもあります。 -
パネルを見てみましょう。
=総括制御室=
船の主機械・補助機械・発電機など、全ての機械類の運転操作、運転状況の監視などを司る部屋で、船の心臓部と言えます。
船底にありますが、空調完備で明るく静かです。
昔の機械室・缶室と比較すると、職場環境は著しく改善されました。 -
=機関室(エンジン室)=
大きいエンジンですね。
摩周丸には、1台1,600馬力のディーゼル機関を8台備え、総出力は12,800馬力ありました。 -
=車両甲板=
船に鉄道車両をそのまま搭載できた鉄道連絡船。
48両の貨車を搭載できました。 -
昭和57年11月15日改正の時刻表。
青森→函館→北海道各地への乗換案内が掲載されています。
連絡船から下記特急列車が接続していました。
・特急.北斗(函館-札幌/室蘭本線経由)
・特急.北海(函館-札幌/函館本線経由)
・特急.おおぞら(函館-釧路)
・特急.おおとり(函館-網走)
今は車内販売すら消滅してしまっていますが‥
この当時、道内の特急列車には食堂車があったのですよ。 -
道内から函館への案内。
釧路から特急.おおぞらで9時間20分。
網走から特急.おおとりで10時間26分かかって函館に到着のダイヤ。
道内移動だけで、丸一日時間をかけていたのですね。 -
こちらは、函館→青森→上野への乗換案内。
東北新幹線(盛岡-大宮)が昭和57年6月23日に開業したばかりで‥
・特急.はつかり(青森-盛岡)
・東北新幹線.やまびこ(盛岡-大宮)
・新幹線リレー号(大宮-上野)
~と、乗継で6時間47分ほどになっています。
また、在来線(羽越本線)経由の特急.鳥海(青森-上野)だと10時間ほどかかりました。 -
この当時だと、夜行列車も健在で‥
・寝台特急.ゆうづる(青森-上野/常磐線経由)
・寝台特急.はくつる(青森-上野/東北線経由)
・寝台特急.あけぼの(青森-上野/奥羽線経由)
・急行.津軽(青森-上野/奥羽線経由)
・急行.十和田(青森-上野/常磐線経由)
・急行.八甲田(青森-上野/東北線経由)
~と、多種多彩の列車がありました。
また‥
・寝台特急.日本海(青森-大阪/羽越.北陸線経由)
関西方面の夜行列車もあったのですね。
これだけ走っていた夜行列車ですが、今は全て消滅してもうありません。 -
函館から主な駅への運賃/料金。
函館→東京(連絡船+特急+東北新幹線乗継)で、14,700円でした。
ちなみに、2022年8月現在の函館→東京(北海道/東北新幹線)で、24,160円です。 -
うなぎ弁当や鮭寿司など‥
船内売店では、駅弁も売られていました。
あぁ、お腹すいてきた。 -
=613駅の、ホームドラマ=
1988年(昭和63年)6月1日現在。
国鉄からJR北海道になった昭和63年当時、北海道内のJR駅は613駅ありました。
今、JR北海道では路線廃止及び駅廃止を進めておりまして‥
2022年4月1日現在、342駅となっております。 -
廃止になった駅を一部抜粋して見てみましょう。
札沼線。
新十津川-桑園/76.5kmを結んだ地方交通線。
令和3年5月7日、新十津川-北海道医療大学/47.6kmが廃止されました。
画像にある駅はもうありません。 -
宗谷本線。
旭川-稚内/259.4kmを結ぶ地方交通線。
画像にある北比布・東六線・北剣淵・下士別は廃駅となり、今はありません。 -
池北線。
池田-北見/140kmを結んだ地方交通線。
平成元年6月4日、第3セクターの北海道ちほく高原鉄道に移管されましたが、利用客減少に伴い平成18年4月20日をもって廃止されました。 -
日高本線。
苫小牧-様似/146.5kmを結んだ地方交通線。
平成27年1月8日に発生した高波により路盤の土砂が流出し、以後、鵡川-様似(116.0 km)が不通となっていましたが、令和3年4月1日に廃止となりました。 -
留萌本線。
滝川-増毛/66.8kmを結んだ地方交通線。
平成28年12月5日、増毛-留萌/16.7kmが廃止されました。
画像の駅は全て廃駅となっております。
また、残っている留萌-深川のうち2022年7月現在、早くて2023年3月に留萌-石狩沼田を廃止し、東側の石狩沼田-深川も3年程度の期限を設けて、2026年以降に廃止するというプランが浮上しているそうです。 -
石北本線。
新旭川-網走/234kmを結ぶ地方交通線。
秘境駅の白滝シリーズとして奥白滝・上白滝・白滝・旧白滝・下白滝がありました。
中越・奥白滝・上白滝・旧白滝・下白滝は廃止。
画像の中で今残るのは白滝・丸瀬布だけです。 -
=可変ピッチスクリュープロペラ=
摩周丸に取り付けられていたもので、直径3.5mほどあります。
津軽丸型連絡船(摩周丸)は2軸の可変ピッチプロペラを備えていて、回転数は一定のまま、推力や進行方向、前後進を変えることができました。 -
ウムッ。
グリーン指定席で寛ぐ上級船客になったつもりでいる筆者。 -
今日は海況が穏やかで、快適なクルージングです。(妄想)
あっ!
フェリーが見えますよ。 -
ズームしてみましょう。
青函連絡船廃止後に旅客輸送を開始した青函フェリー/あさかぜ5号(青森-函館)ですね。 -
=青函連絡船映像ライブラリー=
全部見ると、6時間20分かかります。
ライブラリーを見てみましょう。 -
今日は1本だけ見ます。
タイトルは、青函連絡船。
1960年(昭和35年)の作品です。
こりゃ、貴重な映像だな。 -
後援 国鉄労働組合と言うのが、時代を感じますね。
-
船員様の賄い食です。
食堂の厨房では旅客に提供する料理の他、乗組員の食事も調理されていました。 -
わかりにくい映像ですが‥
大部屋雑魚寝の普通座席(座敷)の様子。
ぎゅうぎゅう詰めで、船客は体を丸くして寝ています。
国鉄青函連絡船では、列車からの乗継客がダッシュして席の争奪戦が繰り広げられたそうです。 -
=終=
うん、教養になった。 -
そろそろ函館に着きます。(妄想)
神聖なる着岸の儀(単に眺めるだけ)に参列する筆者。 -
着岸完了。(妄想)
パチパチパチ‥ -
13:38
名残惜しいですが、下船しましょう。 -
ライブラリーが1本しか見られなかったので、年間券(1,000円)を購入。
これで1年間、摩周丸を見学できます。 -
昔は連絡船につながっていた函館本線のレールは、ここが末端です。
~と、言う事はここが北海道鉄道最南地点と言うことになりますね。 -
14:00
路線バスで湯の川温泉へ戻りましょう。
①函館バス:95A系統.湯川中学校前行
函館駅前.14:00→植物園前.14:21
¥運賃270円 -
海を眺めながらバスは走り‥
-
14:21
函館駅から21分。
熱帯魚植物園前で下車。
このバス停からだと、宿へ170m/徒歩2分と一番近いのです。 -
着陸態勢のANA機。
函館空港が近いので、降下する航空機が間近に見られます。 -
=函館市熱帯植物園=
南国のめずらしい花や木が約300種3000本!
自然と常夏気分を味わえる市営植物園です。
▼函館市熱帯植物園
https://hako-eco.com/函館市熱帯植物園 公園・植物園
-
14:25
イマジンホテル&リゾート函館。
今宵の宿に戻りました。
次回は、リゾートホテル2泊目です。
ご覧下さいまして、誠にありがとうございました。
-つづく-イマジンホテル&リゾート函館 宿・ホテル
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この旅行記へのコメント (6)
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- ねもさん 2022/10/04 09:51:31
- 青函連絡船
- オーヤシクタンさん お久しぶりです。
変わらずオーヤ節は絶好調のようで何よりです(トラピスチヌ修道院のご様子も拝見)
半世紀近く前、北海道と東京周辺を往復するのに、青函連絡船は数えきれないくらい乗りましたが、寝台室もあったとは驚きです。わずか4時間弱でも、利用する方は結構いたのでしょうか?
摩周丸はまだですが、青森の八甲田丸を2年前に見物しました。20歳前後の思い出がよみがえり、懐かしさで涙が出そうでした。
- オーヤシクタンさん からの返信 2022/10/05 06:13:58
- Re: 青函連絡船
- ねも様、おはようございます。
オーヤシクタンでございます。
宗教家ではない私ですが、トラピスチヌ修道院は行ってみたい場所で、旅行記の臨場感をだそうと、祈る筆者を撮影。
この時はまだ早かったこともあり、撮影がでかなましたが、あの後、観光客が多くなったので、早目に行って良かったと思いました。(笑)
さて、青函連絡船です。
実は私は一回も乗っていません。
北海道に行く機会がなかったのと、終航の頃は、車キチガイで船や鉄道より車でドライブばかりしていました。
逆に今は自分で運転して旅することは滅多にしなくなったので、人生ってどこで変わるかわからないものですね。
船好きとなった今、青函連絡船に乗らなかったことが悔やまれます。
青函連絡船の最終型となった津軽丸型を建造する時、航海時間が3時間50分になることから寝台室は廃止することが検討されたそうですが、深夜便があったことから設置され、それなりの需要があったそうです。
昔、乗られた方にとっては色々と思い出があったことでしょう。
摩周丸より八甲田丸の方が見学できる箇所が多いです。
コメントを頂きましてありがとうございました。
今後も宜しくお願い申しあげます。
オーヤシクタン。
-
- Akrさん 2022/09/28 12:50:08
- 摩周丸乗りました
- オーヤシクタンさま
こんにちは。
なかなかの変態行程(誉め言葉です)で楽しんで旅行記を拝見しております。
摩周丸。
現役時代に乗りましたね。485系のはつかりから乗り継ぎました。夏休みで大部屋の桟敷がいっぱいで椅子席に座りました。サロン海峡でコーヒー飲んだのを覚えています。
4時間弱でも寝台があるのは夜行便のため。なるほど。少しでも横になって眠りたい人も居ますでしょう。特に上野から列車での長旅で船の中くらいは足を伸ばして寝たいと思う人は一定数居たのでしょうね。
現代で青函航路を再現するとなると津軽海峡フェリーか青函フェリーがあり、連絡船時代を追体験出来ますね。ちょっと駅からFTまで遠いのが難点ですが。。。
新幹線が出来たのはいいのですが青森も函館も中心部から遠い駅でダイレクトに結ばれないのが新幹線の最大の欠点でしょうね。青函間に限っては船旅復権のような気もします。
Akr
- オーヤシクタンさん からの返信 2022/09/29 08:08:14
- Re: 摩周丸乗りました
- おはようございます。
オーヤシクタンでございます。
現役時代の摩周丸に乗ったことがあるとは羨ましい。
私は青函連絡船に乗ることができませんでした。
今思えば、青函連絡船廃止の頃から在来線優等列車や夜行列車が徐々に姿を消していき、食堂車もなくなってしまったような感じがします。
上野からだと、夜行列車に乗ると青函連絡船は昼行便。
昼行列車からだと青函連絡船夜行便に接続するようなダイヤが組まれていますが、共に移動時間が長いですね。
道内でも、函館-釧路/網走となると、上野-青森と時間に大差がありません。
今、北海道に行くのは航空機が主流になりましたが、鉄道+連絡船が主流の時代に旅してみたかったですね。
ありがとうございました。
オーヤシクタン。
-
- アルカロイド ダリルさん 2022/09/27 08:56:32
- やっと鉄が出た!
オーヤシクタンさんこんにちわ!
やっぱ鉄製のモノに行きましたね? 懐かし~い! ダリルの初北海道は大学の夏休みに、いわきから十和田に乗り、青函連絡船での北海道入りでした
八甲田だったかな? 船の浮き輪を触ったら、ススで手が黒くなりゲンナリした覚えがあります
北海道に住む叔父たちから、夜行列車からの青森駅ダッシュを聞いていたので、奮発して自由席グリーンを取ったら、ガラガラでガッカリ! 昭和50年代には、もう混まなくなってたのかな?
座席の夜行列車で疲れて到着したからと、ビンボー学生旅なのにグリーンを奮発してすごくソンしました! けっきょく写真撮りまくって席に居なかったので、へけけ先輩状態でしたし、高い荷物置き場でした
涼しいと聞いてたのに、毎日30℃超えで暑さにヘレヘレになり、ゲッソリしてましたね~! 帰りは大間に船で渡り、恐山経由で帰りました
今から足ツボに行くダリル
- オーヤシクタンさん からの返信 2022/09/27 16:52:02
- RE: やっと鉄が出た!
- ダリル様、こんにちは。
オーヤシクタンでございます。
船好きとしては、摩周丸は外せません。
‥と、言いながら現役時代の青函連絡船には乗ったことがありません。
あの当時は。船より車でしたからね。
今のように公共交通機関で旅するなんて考えたこともなく、車キチガイでした。
まさか、30年後、こんなに船に乗るようになるとは、人生わかりませんね。
北海道へ行くのが鉄道+連絡船が主流だった時代、青森・函館双方で指定席を持っていない客のダッシュ&席の争奪戦は今の18きっぷ旅に引き継がれているような気がします。
時代の流れと共に北海道へのアクセスは航空機に変わり、連絡船の客は徐々に減っていったと摩周丸記念館の資料にありました。
青函トンネルが開通すると、連絡船航送していた貨物列車はトンネル経由で走れるようになったのが、廃止の決め手となってしまいました。
連絡船が廃止されて、もう30年以上になります。
在来線扱いで運転されていた青函トンネルの列車は新幹線に変わり、すっかり様変わりしてしまいたね。
北海道新幹線が札幌へ開通すると、函館本線(長万部-小樽)は廃止になるようです。
オーヤシクタン。
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