盛岡の観光スポット ランキング
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- エリア
- カテゴリ
-
3.94
- アクセス
- 3.67
- 人混みの少なさ
- 3.83
- バリアフリー
- 2.68
- 見ごたえ
- 3.64
不来方(こずかた)城と呼ばれる南部氏の居城跡。啄木や賢治もよく訪れたといわれる。日本の都市公園100選の一つである盛岡城跡公園は、盛岡城主の居城跡を利用した公園。園内には、新渡戸稲造や石川啄木、宮沢賢治ら、ゆかりの文人達の歌碑も置かれている。また園内で春には「桜まつり」ほか様々なイベントが開かれる。 ...続きを見る
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4.5
日本の100名城に選ばれているそうです。石垣がとても立派で、修復工事も行っています。ライトアップもするそうです。今、紅葉がとてもきれいです。紅葉の絨毯も美しく、散歩していてとても嬉しい気分になります。桜の時期も美しいそうな by miro -
2.5
日本100名城の73ヶ所目として盛岡城を訪れた。仙台駅から盛岡駅は最高時速320キロのはやぶさでわずか40分、盛岡駅からは徒歩約15分である。盛岡城は1598年、北上川と支流の中津川の合流地点の三角地に築かれた平山城、残念 by ハンク
- アクセス
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盛岡駅 バス 10分 都心循環バスでんでんむし利用など
盛岡城跡公園下車 徒歩すぐ
盛岡駅 徒歩 15分
-
3.87
- アクセス
- 3.74
- 人混みの少なさ
- 3.79
- バリアフリー
- 3.20
- 見ごたえ
- 3.97
赤煉瓦造りに緑のドームとルネッサンス風の輪郭の厳格さを現わしており,当時の洋風建築の特徴をほぼ完全な姿で伝えている。内部には付け柱を用い、天井に石膏モチーフを施す等豪かな内装が明治期の銀行建築の姿を良く示している。 設計は東京駅でも知られる、辰野・葛西建築設計事務所による。辰野金吾が設計した建築としては東北地方に唯一残る作品でもあり、昭和52年1月20日に盛岡市保存建造物に指定された。平成24年8月3日銀行としての営業を終了し、約3年半に及ぶ保存修理工事を経て、公開施設として生まれ変わりました。創建当時の様子を伺える館内を、お楽しみください。【料金】 大人: 300円 16歳以上 団体(10名以上) 200円 子供: 100円 小・中学生 団体(10名以上) 50円未就学児童(7歳未満) 無料 備考: 盛岡銀行ゾーン(有料)岩手銀行ゾーン(無料) ...続きを見る
- アクセス
-
盛岡駅 バス 15分
盛岡バスセンター 徒歩 2分
-
3.65
- アクセス
- 3.74
- 景観
- 3.89
- 人混みの少なさ
- 3.80
- バリアフリー
- 3.86
盛岡地方裁判所の構内にある石割桜は、 盛岡のお国自慢をするとき、「石割桜こそ日本一の名桜」などといって、 よく取り上げられる珍しい桜です。 巨大な花崗岩の岩の狭い割れ目に直径約1.35メートル、 樹齢が360年を越えるといわれるエドヒガンザクラが生育しているのです。 巨大な花崗岩と調和した威厳ある美しい姿と珍しさでは、 日本一といっていいのではないでしょうか。この石割桜にもかつて危機がありました。 昭和7年に盛岡地方裁判所が火災に遭い、石割桜も北側の一部が焼けましたが、 幸い全焼を免れ翌春には再び花を咲かせたのでした。 現在は保護管理も良く、毎年見事に開花を続け、たくさんの人の目を楽しませています。 ここは南部家藩主の分家にあたる北監物の庭園であったといわれ、 明治初期には桜雲石と呼ばれていたようです。 1923(大正12)年、国の天然記念物に指定されています。 ...続きを見る
- アクセス
- 盛岡駅 徒歩 20分
-
3.57
- アクセス
- 3.62
- 人混みの少なさ
- 3.75
- バリアフリー
- 2.87
- 見ごたえ
- 3.65
社殿が盛岡城三の丸跡にあり、江戸時代中期の寛延2年に創建され南部藩の総鎮守として信仰されました。国の重要文化財に指定される南北朝時代初期の国長作の刀が所蔵されています。毎年5月25日から3日間行われる例大祭では、お神輿が騎馬武者に先導されて盛岡市内を練り歩き境内には多くの出店が立ち並びます。また、1月26日に開催される伝統行事裸参りは盛岡の冬の風物詩として有名です。 ...続きを見る
- アクセス
-
盛岡駅 バス 7分
県庁・市役所前下車 徒歩 3分
- 営業時間
-
09:00~17:00
文化財 国指定重要文化財 伝来国長作の刀 指定年: 1927 4月
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-
3.51
- アクセス
- 4.09
- 人混みの少なさ
- 3.49
- バリアフリー
- 3.17
- 見ごたえ
- 3.63
- 住所
- 岩手県盛岡市開運橋通
-
-
3.51
- アクセス
- 3.73
- 景観
- 3.96
- 人混みの少なさ
- 3.64
- バリアフリー
- 3.17
岩手県北部岩手町御堂(御堂観音境内の湧き水という説が一番有力)を源として、北上・奥羽山脈から発する幾多の大小支流河川をあわせて、岩手県の穀倉地帯を南に縦貫し一関下流の狭窄部を経て宮城県に入る。その後旧北上川を分流、本線は追波湾に、旧線は石巻湾に注ぐ。本流が太く支流が細いという特徴があり、多くの支流は排水路的な役割をもつ。盛岡駅前を流れ、そこからは岩手山ものぞむことができる盛岡を代表する景観を作り上げている。【規模】構成流域地区/岩手県・宮城県(岩手県(7市18町7村)、宮城県(2市28町1村))、長さ:延長/249km(全国で5番目の長さ)、面積:流域面積/10,150平方メートル(全国で4番目の面積で、日本国土の約1/48) ...続きを見る
- アクセス
- 盛岡駅 徒歩 2分
-
3.46
- アクセス
- 3.82
- コスパ
- 4.10
- 人混みの少なさ
- 4.08
- 展示内容
- 3.94
- バリアフリー
- 3.55
2011年7月に開館した文化施設。1階では盛岡の観光情報や伝統文化を紹介し、2階では城下町盛岡の成立過程や盛岡藩主南部家に関する資料を展示しております。【料金】 大人: 300円 団体(20人以上)240円、市内在住65歳以上の方無料 高校生: 200円 団体(20人以上)160円 中学生: 100円 団体(20人以上)80円 小学生: 100円 団体(20人以上)80円 ...続きを見る
- アクセス
-
盛岡駅 バス 10分
県庁・市役所前 徒歩 4分
盛岡駅 徒歩 20分
盛岡IC 車 25分
盛岡南IC 車 25分
-
3.45
- アクセス
- 3.48
- 人混みの少なさ
- 3.72
- バリアフリー
- 2.68
- 見ごたえ
- 3.87
- 住所
- 岩手県盛岡市内丸1-42
-
3.43
- アクセス
- 3.69
- コスパ
- 4.41
- 人混みの少なさ
- 3.74
- 展示内容
- 3.91
- バリアフリー
- 3.26
盛岡を背景にした、啄木賢治の青春や文学のほか、当時の文化などを紹介。建物は明治43年に建てられた、旧第九十銀行本店で、レンガ造りの美しいロマネスク風の近代洋風建築で市の有形文化財・国指定重要文化財に指定されている。 ...続きを見る
- アクセス
-
盛岡駅 バス 15分
盛岡バスセンター 徒歩 3分
- 予算
- 【料金】 無料(2F展示ホールの企画展は有料の場合有)
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-
3.42
- アクセス
- 4.46
- 人混みの少なさ
- 4.28
- バリアフリー
- 4.07
- 見ごたえ
- 4.15
盛岡の街並み,北上川,雫石川の流れ,岩手山,早池峰山,姫神山などの高峰を一望できる地上20階(92m)からの眺めはまさに絶景です。
- アクセス
- 盛岡駅 徒歩 3分
- 予算
- 【料金】 無料
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-
-
3.41
- アクセス
- 3.53
- 景観
- 3.82
- 人混みの少なさ
- 3.79
- バリアフリー
- 3.13
北上川の支流河川です。岩神山、阿部舘山などの沢に源を発し、本川(旧弥清川)が米内川と合流、盛岡市内を貫流して北上川に入る中小暖流河川。盛岡市内中心部を静かに流れ、京の鴨川にもたとえられ、夏には鮎つりができ、秋には鮭がのぼり、冬は白鳥が羽を休めます。市内中心部の河川敷には遊歩道が整備され四季折々の表情を間近で感じることができる、盛岡を代表する景観のひとつです。 ...続きを見る
- アクセス
- 盛岡駅 バス 7分
-
3.40
- アクセス
- 3.50
- 人混みの少なさ
- 3.97
- バリアフリー
- 3.25
- 見ごたえ
- 3.98
- 住所
- 岩手県盛岡市紺屋町4-33
-
3.40
- アクセス
- 3.62
- 人混みの少なさ
- 3.60
- バリアフリー
- 3.62
- 見ごたえ
- 3.88
宮沢賢治ゆかりの民芸品店(「注文の多い料理店」の出版元)をはじめ、陶器、木綿、漆器、木工家具などていねいな仕事を重んじる店が軒を並べ、最近は骨董店やミニギャラリーも通りに趣を添える。 宮沢賢治ゆかりの6つのモニュメントが通りに並び、4月~11月下旬までの毎週土曜日の夕刻には「よ市」が開催される。通りの商店街だけではなく近郊の農家も店を並べ、イベントも開催され、市民や観光客など多くの人で賑わう。 ...続きを見る
- アクセス
- JR盛岡駅 徒歩 10分
-
3.39
- アクセス
- 3.65
- 人混みの少なさ
- 4.13
- バリアフリー
- 3.13
- 見ごたえ
- 3.69
明治38年5月、処女詩集「あこがれ」を出版した石川啄木は、 東京で新婚生活をもつという生活設計を変更して、市内の新山小路(現在の中央通3丁目)に帰り、 年来の恋人堀合節子と結婚式を挙げました。しかし、父母と妹が同居する新婚生活は窮迫し、そこでの生活はわずか3週間。 同7月に市内の加賀野磧町(現在の加賀野1丁目)に移り住みます。その時の様子は随筆「我が四畳半」に描かれています。 かやぶきの屋根など当時と変わったところもありますが、ほぼ当時のまま現存しています。 啄木の書や写真なども展示されています。 ...続きを見る
- アクセス
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啄木新婚の家口 徒歩 1分
盛岡駅 バス 5分
- 予算
- 【料金】 入場無料
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-
3.38
- アクセス
- 3.48
- 人混みの少なさ
- 3.71
- バリアフリー
- 3.25
- 見ごたえ
- 3.71
- 住所
- 盛岡市中ノ橋通一丁目4番6号
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宿公式サイトから予約できる岩手県のホテルスポンサー提供
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盛岡への旅行情報
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3.37
- アクセス
- 3.33
- 人混みの少なさ
- 3.60
- バリアフリー
- 2.88
- 見ごたえ
- 3.76
盛岡藩南部氏鎮守。八幡宮例大祭では山車の巡行や流鏑馬が有名、境内には米内光政像、田村了咲句碑などがあります。南部氏は、もともと八幡神を氏神と仰ぐ家柄でした。今から約800年ほど昔に南部の藩祖である南部光行公が、 居城を三戸から不来方に移す際に、不来方の豪族である日戸氏が代々信仰していた鳩森八幡宮を修復し、 この地方の守護神として城内におまつりし、氏神と仰ぎました。城内の八幡社を藩主が篤く信奉することから、城下の民衆も自然に八幡神を崇敬するようになりました。 そのため、新たに崇敬の中心となるべき八幡神社の造営が必要とされ、 寛文11年に南部29代重信公が、商業の流通を図るために、町の中心部を整え、 新八幡宮の造営に着手しました。約1万5千坪の広大な境内地を定めて寛文11年に着手された造営工事は約8ヵ年を要し、 延宝8年にご本殿を始め、流鏑馬(やぶさめ)馬場等の主な建物や施設が整いました。 新八幡宮造営にあわせて、門前の町づくりにも着手し、その竣工と同時に門前町である八幡町が完成しました。 八幡町は、盛岡八幡宮の歴史とともに発展し現在に至っています。 ...続きを見る
- アクセス
-
盛岡駅 バス 20分 茶畑行き
八幡宮下車 徒歩すぐ
-
3.37
- アクセス
- 3.33
- 人混みの少なさ
- 3.93
- バリアフリー
- 3.08
- 見ごたえ
- 3.82
- アクセス
- JR盛岡駅から岩手県交通盛岡都心循環バスでんでんむし号右回りで13分、本町通一丁目下車、徒歩10分
-
3.37
- アクセス
- 4.03
- 人混みの少なさ
- 3.72
- バリアフリー
- 3.39
- 見ごたえ
- 3.74
- アクセス
- 盛岡駅北口徒歩3分
-
3.37
- アクセス
- 3.38
- 人混みの少なさ
- 4.19
- バリアフリー
- 2.63
- 見ごたえ
- 4.33
報恩寺(ほうおんじ)は広大な座禅堂と五百羅漢(ごひゃくらかん)で藩政時代から有名。 石川啄木がまだ盛岡中学の学生だったころ、この北山一帯の風光をこよなく愛し、級友とよく散策したといわれる。(詩集「あこがれ」の中の「落瓦の賦」は報恩寺をうたった。)また、 宮沢賢治は 盛岡高等農林学校時代に報恩寺で参禅している。五百羅漢は報恩寺の羅漢堂に納められた尊像で、499体が現存。胎内の墨書銘から、1731年(享保16)、報恩寺代17世和尚が、大願主として造立、4年後に完成した。尊像は京都で9人の仏師によって製作され、盛岡に運んだ輸送用の箱は台座として再利用された。五百羅漢の五百という数字は、多数という意味で、それぞれの尊者に名はなく、服装からは印度・西域・支那の僧の風貌・容姿が連想され、マルコ・ポーロやフビライ・ハンの像もある。五百羅漢の現存は全国で50例ほど確認されているが、木彫りで499体が現存し、造立年代、尊像の製作者まで明確に知り得るのは、全国的にもまれな例といえる。昭和41年に盛岡市の文化財に指定された。 ...続きを見る
- アクセス
-
盛岡駅 バス 12分 盛岡駅前東口11番線松園ニュータウン行き(本町通・洞清水経由)
本町通一丁目下車 徒歩 15分
盛岡駅 バス 11分 盛岡駅東口15番線盛岡都心循環バスでんでんむし右回り線
本町通一丁目下車 徒歩 15分
盛岡駅 タクシー 10分
- 予算
- 【料金】 大人: 300円 中学生以上、団体40名以上200円 小学生: 100円 幼児:無料
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-
3.37
- アクセス
- 3.52
- 人混みの少なさ
- 3.57
- バリアフリー
- 2.92
- 見ごたえ
- 3.59
岩手県公会堂は、皇太子であった昭和天皇の御成婚を記念して建設が計画され、1925年(大正14年)9月の着工から1927年(昭和2年)6月の竣工まで、約2年の工期と総額43万8000円の建設費を投じて建設された。設計は、東京の日比谷公会堂や早稲田大学大隈講堂の設計で知られる佐藤功一博士で、近代コンクリート建築の先駆け。創建当時の公会堂は、県会議事堂、大ホール、西洋料理店、皇族方の宿泊所と、4つの用途を備えていた。間口44メートル、奥行48メートルの規模で、鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建、陸屋根となっている。玄関奥を階段室、その奥を中庭とし、後部にホールを置く。中央に高さ約24メートル・6 層の塔屋を設け、外壁をスクラッチタイル貼とし、外部に柱形を現して垂直性を強調しているのが特徴です。幾度かの改修が行われましたが、内部には漆喰の美しいレリーフや、優雅な曲線のバルコニーなど、創建当時の面影を伝えるアール・デコ様式の意匠が残されており、現在も会議室を主体とした施設として市民・県民に利用されています。 ...続きを見る
- アクセス
- JR盛岡駅 バス 15分 都心循環バスでんでんむしで、「県庁・市役所前」下車、目の前。
- 営業時間
-
09:00~17:30
文化財 登録有形文化財 作成年代: 昭和時代 指定年: 2006 11月
- 休業日
- 毎月第3月曜日、年末年始(12月29日~1月3日)
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