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ギュスターヴモロー展が上野の美術館で開催されたのは50年以上前のこと<br />西洋絵画といえば印象派と宗教画そして宮廷画家による作品しか知らなかったので強烈な印象を受けた記憶があります<br />サロメを主題にした作品が印象的でした<br />あと、パリの美術学校の教授でもあり、ルオーとマチスが教え子だというのも印象に残りました<br /><br />Wikipediaから概略を引用します<br />ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826年4月6日?1898年4月18日)は、フランスの象徴主義の画家である。パリに生まれパリで亡くなった。聖書や神話に題材をとった幻想的な作風で知られる。<br /><br />印象派の画家たちとほぼ同時代に活動したモローは、聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、想像と幻想の世界をもっぱら描いた。彼の作品は19世紀末のいわゆる『世紀末』の画家や文学者に多大な影響を与え、象徴主義の先駆者とされている。

Trinitéd Estienne d'Orves 駅から5分310m歩いて国立ギュスターヴモロー美術館へ 2014年12月

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2014/12/18 - 2014/12/18

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norio2bo

norio2boさん

ギュスターヴモロー展が上野の美術館で開催されたのは50年以上前のこと
西洋絵画といえば印象派と宗教画そして宮廷画家による作品しか知らなかったので強烈な印象を受けた記憶があります
サロメを主題にした作品が印象的でした
あと、パリの美術学校の教授でもあり、ルオーとマチスが教え子だというのも印象に残りました

Wikipediaから概略を引用します
ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau, 1826年4月6日?1898年4月18日)は、フランスの象徴主義の画家である。パリに生まれパリで亡くなった。聖書や神話に題材をとった幻想的な作風で知られる。

印象派の画家たちとほぼ同時代に活動したモローは、聖書やギリシャ神話をおもな題材とし、想像と幻想の世界をもっぱら描いた。彼の作品は19世紀末のいわゆる『世紀末』の画家や文学者に多大な影響を与え、象徴主義の先駆者とされている。

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  • Trinitéd Estienne d&#39;Orves 駅から徒歩5分310m<br />iPhoneのオフライン(機内モード)ナビゲーション

    Trinitéd Estienne d'Orves 駅から徒歩5分310m
    iPhoneのオフライン(機内モード)ナビゲーション

  • Rue de La Rochefocauld通りを進む<br />濃い青色が向いてる方向を示しています

    Rue de La Rochefocauld通りを進む
    濃い青色が向いてる方向を示しています

  • ちょっと急な坂を登ると国立ギュスターヴモロー美術館に到着します<br /><br />ミュージアムパスで入場しました<br />通常は5ユーロ<br />火曜日が休館です<br /><br />Wikipediaから引用です<br />1852年、ギュスターヴ・モローはパリ9区ラ・ロッシュフーコー街にある邸宅に移り住み、そこを自宅兼アトリエとした。モローは亡くなる前からこの邸宅を自身の作品の展示場にすることを考えており、展示室も作っていた。モローの死後、邸宅はコレクションと共に国に遺贈され、1903年に美術館として開館した

    ちょっと急な坂を登ると国立ギュスターヴモロー美術館に到着します

    ミュージアムパスで入場しました
    通常は5ユーロ
    火曜日が休館です

    Wikipediaから引用です
    1852年、ギュスターヴ・モローはパリ9区ラ・ロッシュフーコー街にある邸宅に移り住み、そこを自宅兼アトリエとした。モローは亡くなる前からこの邸宅を自身の作品の展示場にすることを考えており、展示室も作っていた。モローの死後、邸宅はコレクションと共に国に遺贈され、1903年に美術館として開館した

  • 螺旋階段を登ったフロアがギュスターヴモローの膨大な作品を展示してある部屋になっています<br /><br />ここはモローのアトリエ兼自宅です<br />この螺旋階段はモローのデザインだそうです

    螺旋階段を登ったフロアがギュスターヴモローの膨大な作品を展示してある部屋になっています

    ここはモローのアトリエ兼自宅です
    この螺旋階段はモローのデザインだそうです

  • 壁一面に作品が並ぶモローの世界<br /><br />油彩画・水彩画だけでなくデッサンも閲覧出来るようになっている<br />その作品数は14000点以上とも言われている<br /><br />モローが生まれたのは、1826年<br />73歳で1898年に死去<br />注目すべきは、印象派の画家たちとほぼ同世代だと言うことです<br />ゴッホがゴーギャンとアルルで共同生活を始めたのが1888年、耳切事件がその10月です<br />モローがパルカと死の天使を制作したのが1890年頃です<br />この辺りに、ヨーロッパの文化の多様性を感じます<br /><br />ちなみに、<br />マネが1832〜1883(51歳)<br />セザンヌが1839〜1906(67歳)です<br />

    壁一面に作品が並ぶモローの世界

    油彩画・水彩画だけでなくデッサンも閲覧出来るようになっている
    その作品数は14000点以上とも言われている

    モローが生まれたのは、1826年
    73歳で1898年に死去
    注目すべきは、印象派の画家たちとほぼ同世代だと言うことです
    ゴッホがゴーギャンとアルルで共同生活を始めたのが1888年、耳切事件がその10月です
    モローがパルカと死の天使を制作したのが1890年頃です
    この辺りに、ヨーロッパの文化の多様性を感じます

    ちなみに、
    マネが1832〜1883(51歳)
    セザンヌが1839〜1906(67歳)です

  • 階段から鑑賞する

    階段から鑑賞する

  • ギュスターヴモローの肖像画<br /><br />モローは72歳で癌で死去<br />生涯独身を通してこのアトリエで制作を続けました<br />このアトリエは遺言により、美術館として国家に贈与されたと言います<br />国立ギュスターヴモロー美術館の初代館長には教え子のルオー(厚塗りの宗教画で有名ですね)が勤めています

    ギュスターヴモローの肖像画

    モローは72歳で癌で死去
    生涯独身を通してこのアトリエで制作を続けました
    このアトリエは遺言により、美術館として国家に贈与されたと言います
    国立ギュスターヴモロー美術館の初代館長には教え子のルオー(厚塗りの宗教画で有名ですね)が勤めています

  • この絵は上野のギュスターヴモロー展に来ていました<br /><br />解説書より引用<br /><br />パルカと死の天使<br />(La Parque et l&#39;ange de la mort) 1890年頃<br />110×67cm | 油彩・画布 | ギュスターヴ・モロー美術館<br /><br />フランス象徴主義の巨匠ギュスターヴ・モロー晩年の象徴的な作品『パルカと死の天使』。画家最愛の恋人であったアデライド=アレクサンドリーヌ・デュルーが死去した直後から構想され、同年(1890年)頃現在の形で完成した本作は、人間の運命を司る女神≪パルカ(※通常はクロト(紡ぐ者)、ラケシス(運命の割当者)、アトロポス(不可避の者・糸を断つ者)の3姉妹とされる)≫たちに導かれる≪死の天使≫を象徴的に描いた作品である。画面中央に描かれる黒馬に跨りながら歩みを進める死の天使は、人間に死をもたらすのであろうことを容易に連想させる大剣を象徴的に片手で持ち、光輪を背負いながら丘の上に参じている。死の天使の赤い翼は後光によって赤々と輝き、まるで人間の逃れられない、拒むことのできない死を象徴しているかのようである。死の天使の前面に描かれるパルカは唯、静かに死の天使を導き、無感情にその職務を遂行している様子である。そして画面後方となる遠景には、あたかも人の命が儚く消えゆくように夕日が沈んでいる情景が描かれており、さらに死の天使の上部には星(一説には明星とされる)が輝いている。本作が描かれた1890年にモローは恋人アデライド=アレクサンドリーヌ・デュルーを亡くしており、最愛の恋人に訪れた絶対的な死の運命とその絶望的な感情を本作からは感じることができる。

    この絵は上野のギュスターヴモロー展に来ていました

    解説書より引用

    パルカと死の天使
    (La Parque et l'ange de la mort) 1890年頃
    110×67cm | 油彩・画布 | ギュスターヴ・モロー美術館

    フランス象徴主義の巨匠ギュスターヴ・モロー晩年の象徴的な作品『パルカと死の天使』。画家最愛の恋人であったアデライド=アレクサンドリーヌ・デュルーが死去した直後から構想され、同年(1890年)頃現在の形で完成した本作は、人間の運命を司る女神≪パルカ(※通常はクロト(紡ぐ者)、ラケシス(運命の割当者)、アトロポス(不可避の者・糸を断つ者)の3姉妹とされる)≫たちに導かれる≪死の天使≫を象徴的に描いた作品である。画面中央に描かれる黒馬に跨りながら歩みを進める死の天使は、人間に死をもたらすのであろうことを容易に連想させる大剣を象徴的に片手で持ち、光輪を背負いながら丘の上に参じている。死の天使の赤い翼は後光によって赤々と輝き、まるで人間の逃れられない、拒むことのできない死を象徴しているかのようである。死の天使の前面に描かれるパルカは唯、静かに死の天使を導き、無感情にその職務を遂行している様子である。そして画面後方となる遠景には、あたかも人の命が儚く消えゆくように夕日が沈んでいる情景が描かれており、さらに死の天使の上部には星(一説には明星とされる)が輝いている。本作が描かれた1890年にモローは恋人アデライド=アレクサンドリーヌ・デュルーを亡くしており、最愛の恋人に訪れた絶対的な死の運命とその絶望的な感情を本作からは感じることができる。

  • とにかく、作品を見る

    とにかく、作品を見る

  • ギュスターヴモローがデザインした螺旋階段を上から撮影して見ました<br /><br />余りの作品数の多さと<br />神秘的な作品のパワーに圧倒されて頭の中も螺旋階段状態

    ギュスターヴモローがデザインした螺旋階段を上から撮影して見ました

    余りの作品数の多さと
    神秘的な作品のパワーに圧倒されて頭の中も螺旋階段状態

  • 未完成の作品がイーゼルにかけられている<br />モローの頭の中では完成しているのだろうか?

    未完成の作品がイーゼルにかけられている
    モローの頭の中では完成しているのだろうか?

  • 螺旋階段を降りて来ました<br />振り返ったところの図です<br /><br />螺旋の数が多いですね<br />足もと気をつけましょう

    螺旋階段を降りて来ました
    振り返ったところの図です

    螺旋の数が多いですね
    足もと気をつけましょう

  • 1階にあるモローの居住スペース<br />ここはモローの自宅兼アトリエだった<br />先ずは、応接間<br />美術館学校の教授としてのアカデミックな立場を感じさせる空間です

    1階にあるモローの居住スペース
    ここはモローの自宅兼アトリエだった
    先ずは、応接間
    美術館学校の教授としてのアカデミックな立場を感じさせる空間です

  • 同じく応接間の窓側

    同じく応接間の窓側

  • 寝室<br />意外な位小さい(短い)ベット<br />身長が子ども並みだったのだろうか?

    寝室
    意外な位小さい(短い)ベット
    身長が子ども並みだったのだろうか?

  • モローのコレクションの数々

    モローのコレクションの数々

  • モローは一生涯独身だった<br />ガールフレンドはいた<br />彼女の写真が飾られていた<br /><br />ギュスターヴモローは1898年癌のために死去した<br />生涯独身であったモローは人間嫌いだと言われていたが、今日では当時台頭していた写実主義や印象主義の風潮を拒否した為だとされている<br /><br />アレクサンドリーヌ・デュルと言う名の10歳年下のガールフレンドがいたと言う

    モローは一生涯独身だった
    ガールフレンドはいた
    彼女の写真が飾られていた

    ギュスターヴモローは1898年癌のために死去した
    生涯独身であったモローは人間嫌いだと言われていたが、今日では当時台頭していた写実主義や印象主義の風潮を拒否した為だとされている

    アレクサンドリーヌ・デュルと言う名の10歳年下のガールフレンドがいたと言う

  • 暖炉の上のモローのコレクション

    暖炉の上のモローのコレクション

  • 国立ギュスターヴモロー美術館を出て<br />振り返ると<br />ギュスターヴモローの旗が見えた<br /><br />ギュスターヴモローは遺言の中で自身は忘れられても、作品が一同に展示され鑑賞される事を願ったという<br /><br />若い頃の印象と年を重ねてからの印象は違って来ますね<br />ギュスターヴモローの作品に違った何かを感じたのは年のせいだろうか〜<br />駅までの戻り道 、そんな事をふと考えました

    国立ギュスターヴモロー美術館を出て
    振り返ると
    ギュスターヴモローの旗が見えた

    ギュスターヴモローは遺言の中で自身は忘れられても、作品が一同に展示され鑑賞される事を願ったという

    若い頃の印象と年を重ねてからの印象は違って来ますね
    ギュスターヴモローの作品に違った何かを感じたのは年のせいだろうか〜
    駅までの戻り道 、そんな事をふと考えました

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この旅行記へのコメント (2)

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  • panthere ☆ ノートル パリさん 2014/12/29 19:10:32
    私の大好きな美術館☆
    NORIOさま

    こんにちは。
    私の大好きな画家の中の1人です。この美術館&絵画が大好きです☆

    思わず、掲示板に書き込みしてしまいました!

    今後もNORIOさんの旅ブログ、楽しみにしています。

    PANTHERE

    norio2bo

    norio2boさん からの返信 2017/01/13 11:38:58
    Re: 私の大好きな美術館☆
    Panthèreさん

    メッセージありがとうございます
    2年以上前に頂きながら遅くなりました。

    大昔、高校時代は印象派が好みでした
    その頃、上野の西洋美術館でギュスターブモロー展があってかなり強い印象を持ちました。

    完成しているのか、作成中なのか、下絵段階なのかわからないのも魅力です

    この美術館の初代の館長はルオーだそうです。

    遅くなった返信をお許し下さい

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