真岡の名所・史跡 ランキング
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3.30
- アクセス
- 3.13
- 人混みの少なさ
- 4.10
- バリアフリー
- 3.33
- 見ごたえ
- 3.40
この「久保記念観光文化交流館」は整備前、その所有者が久保家であることから、「久保邸」と呼ばれていました。この地区は、1347年の真岡城築城に伴いできた3つのお寺に囲まれた、いわゆる門前町であり、大正・昭和の時代には、料亭や芸者置屋などがあり、華やかな賑わいを見せていた地区でした。しかし時代の変遷とともに 多くの建造物が失われていき、明治、大正、昭和の古き良き時代を知る建造物は、市所有の岡部記念館「金鈴荘」とこの「久保邸」を残すのみとなっていました。そのような中、久保家を始めとする関係者の方々から、保存を前提に建物を譲渡したい旨の申し出があり、市では、明治、大正期の貴重な歴史的建築物が現存する「久保邸」を次の代に引き継ぐ資産として保存するとともに、様々な機能を備えた真岡市の新たな観光文化拠点施設とすることとし、この「久保記念観光文化交流館」を整備いたしました。古き良き時代を感じられる建築物が建ち並ぶこの空間で、「今」の真岡市の様々な魅力を感じていただければ幸いです。 ...続きを見る
- アクセス
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真岡駅 徒歩 15分 1.2km
真岡IC 車 10分 5km
- 予算
- 【料金】 大人: 0円 子供: 0円
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3.28
- アクセス
- 4.00
- 人混みの少なさ
- 4.00
- バリアフリー
- 3.00
- 見ごたえ
- 4.00
岡部記念館「金鈴荘」は、回遊式の日本庭園を備え、周囲に地元の磯山石(現在は生産されていない)を使用した石塀をめぐらしています。建物は、明治中期に岡部呉服店2代目岡部久四郎氏が建築材料等を多年にわたって集め、職人を3年間修業させ、十年余の歳月を費やし建築したものです。木造2階建、徹底した防火土蔵造になっています。内部造作の特徴としては、床の間部分は全て紫檀(したん)、黒檀(こくたん)、鉄刀木(たがやさん)の唐木が使用されています。内部にある書画骨董類は、この地方にゆかりの深い作者のものが多く、矢橋天籟(やばしてんらい:真岡出身)、高久靄崖(たかくあいがい:黒磯出身)の掛軸、額、佐竹永陵(さたけえいりょう:東京出身)の襖絵山水画、宇都宮藩家老の県六石(あがたりくせき)、同じく藤田素堂(ふじたそどう)の天袋、地袋絵や金屏風等、文化財として価値あるものが数多くあります。金鈴荘は、建築してから昭和27年まで岡部家の別荘として、関係者の接待や呉服の展示会場として使用されていました。また、有島武郎の小説「或る女」の女主人公「早月葉子」のモデルといわれている「佐々城信子」が後年暮らした所です。その後、昭和63年6月まで割烹料理店「金鈴荘」として利用されていましたが、同年8月に市が借り受け、真岡市近世百年の歴史・文化遺産として後世に引き継ぐため、岡部記念館「金鈴荘」として保存することになりました。物産会館・木綿工房(現木綿会館)の建物と併せて、平成13年1月に岡部呉服店から真岡市に寄付されました。 ...続きを見る
- アクセス
- 真岡駅 徒歩 15分 1.2km
- 予算
- 【料金】 無料
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3.28
- アクセス
- 3.50
- 人混みの少なさ
- 3.50
- バリアフリー
- 3.25
- 見ごたえ
- 3.67
- 住所
- 栃木県真岡市荒町2162-1
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3.17
- アクセス
- 3.50
- 人混みの少なさ
- 3.50
- バリアフリー
- 3.00
- 見ごたえ
- 3.00
- 住所
- 栃木県真岡市台町2474-1
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3.10
小田原城主・大久保加賀守忠朝の3男教信が、分家して野州桜町4000石を知行し、宇津家を再興して 元禄12年(1699)にこの地に陣屋を創設しました。文政6年(1823)には領内が疲弊したため、藩主大久保忠真の命を受けて、二宮金次郎が桜町復興のために赴任してきました。以来26年間在陣執務した尊徳は桜町復興に成功し、名声をあげました。その後明治維新に陣屋は廃止となり、現在は茅葺屋根の陣屋の建物が残っています。昭和7年3月25日に国指定文化財となりました。現在は二宮尊徳の日記にある「報徳田」の記載から、桜町陣屋跡に隣接した田んぼで「尊徳さんの田んぼで 米づくり体験」事業を行っています。 ...続きを見る
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真岡駅 車 10分 4.6km
真岡IC 車 15分 8.6km
- 予算
- 【料金】 無料
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評価なし
この城跡は中村遍照寺の全境域である。東西約191m,南北182mの長方形の内濠跡が残されている。濠の深さは約6m,幅9mである。
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- 寺内駅から徒歩で40分
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評価なし
遺構の一部を残す。桜の名所として知られる。
- アクセス
- 真岡駅から徒歩で5分
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評価なし
昭和12年(1937)、市内在住美術評論家の久保貞次郎氏から「祖父の傘寿のお祝いに」と、真岡小学校へ講堂新築の申し出があり、翌13年に竣工しました。その事業費は全額久保家から寄贈され、当時の真岡町議会では、久保六平氏の胸像を建設して感謝の意を表す計画でしたが、久保氏が強く辞退したため、講堂の名称を「久保講堂」と名付けることで了承を得ました。真岡小学校の体育館完成や久保講堂の老朽化などの理由により、講堂取り壊しの方針が打ち出されました。しかし、昭和54年(1979)、同校卒業生を中心とした「久保講堂をのこす会」が署名活動を展開し、市民が一体となり存続活動が繰り広げられました。昭和56年(1981)、建築家の遠藤楽氏をはじめ、専門家による実地調査を行い、「久保講堂は大変な宝物、移築にいくらかかっても残して活用すべき」との提言がなされました。その結果、昭和61年1月から8月にかけて、真岡小学校構内から現在の場所に移築されました。現在、年間を通して文化祭・芸術祭のギャラリー展をはじめ、児童生徒の書道展、一般市民の各種展示会などが開催され、真岡市の芸術・文化の殿堂として、広く市民に親しまれています。平成9年5月、県内の建造物としては初となる「国の登録有形文化財」に登録されました。 ...続きを見る
- アクセス
- 真岡駅 車 5分 2km