川上・東吉野の名所・史跡 ランキング
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3.31
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- 3.50
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- 3.00
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- 4.25
- 住所
- 奈良県吉野郡川上村大滝1051
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3.30
- アクセス
- 3.08
- 人混みの少なさ
- 4.33
- バリアフリー
- 3.17
- 見ごたえ
- 3.83
大迫ダムは一級水系紀の川本川最上流部に建設され、紀の川本川初のダムである。型式はアーチ式コンクリートダム、高さは70.5m。洪水調節、即ち治水目的を有していない多目的ダムであり『十津川・紀の川総合開発事業』の中核的施設である。 ...続きを見る
- アクセス
- 大和上市駅 バス 60分
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3.27
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- 2.17
- 人混みの少なさ
- 4.17
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- 1.00
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- 3.17
東吉野村役場の北東2km,鷲家川沿いの杉木立の中に天誅組の総裁だった吉村寅太郎の墓がある。文久3年(1863)討幕の兵を挙げた30名は五条代官所を襲うが,1カ月余の転戦の後,この付近でほとんど討死する。それから3年余の後に大政奉還。わずかばかりに早すぎた蜂起なのであった。役場付近にも12基の志士の墓がある。天誅組終焉の地。 ...続きを見る
- アクセス
- 榛原駅 40分
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3.23
- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 4.00
- 見ごたえ
- 3.50
神武天皇の丹生川上での御親祭。 昭和15年文部省による神武聖蹟調査の第1回目の決定があり「丹生川上の地」は小川村(現東吉野村)丹生川上神社付近であると発表された。日本書紀によると、戊午の年9月、神武天皇は、大和平定のため夢にあらわれた天神の教えのとおり、天香具山の社の中の土を取って平瓮と厳瓮(御神酒を入れる瓮)をつくり、丹生の川上に上って天神地祇を祀られた。 神意を占って、「厳瓮を丹生川にしずめよう。もし魚が大小となく全部酔って流れるのが真木の葉の浮き流れるようであれば自分はきっとこの国を平定するだろう。」と言われて厳瓮を丹生川に沈めた。しばらくすると魚はみな浮き上がって口をパクパク開いた。椎根津彦がそのことを報告すると、天皇は大いに喜んで丹生の川上の五百箇の榊を根こぎにして諸々の神をお祀りされた。このときから祭儀のときに御神酒瓶が置かれるようになった。 丹生川は現高見川で、高見・四郷・日裏の三川合流し青い水をたたえた淵は、神武天皇が厳瓮を沈めたところだと伝えられ、夢淵と呼ばれている。 ...続きを見る
- 住所
- 奈良県吉野郡東吉野村小
-
3.21
- アクセス
- 3.17
- 人混みの少なさ
- 4.50
- 見ごたえ
- 3.17
- 住所
- 奈良県吉野郡東吉野村小川99