ミナミ(難波・天王寺)の寺・神社・教会 ランキング
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4.02
- アクセス
- 3.52
- 人混みの少なさ
- 3.63
- バリアフリー
- 3.15
- 見ごたえ
- 3.58
1400年前の推古天皇元年(593)、物部守屋と蘇我馬子の合戦に勝利したことを受けて、聖徳太子が四天王を安置するために建立したと伝えられる、日本初の本格的な仏教寺院。その伽藍配置は大陸の影響を色濃く受けた「四天王寺式伽藍配置」といわれるもので、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式。日本では最も古い建築様式のひとつだそうだ。仏教の根本精神の実践の場として、中心伽藍の北には、仏法修行の道場である「敬田院」、病者に薬を施す「施薬院」、病気の者を収容し病気を癒す「療病院」、身寄りのない者や年老いた者を収容する「悲田院」の四箇院が設けられている。その後、幾度の戦禍と災難によって伽藍は焼失へ。現在の伽藍は昭和38年(1963)、当初のものを厳密に再興したものだそうだ。全敷地面積33,000坪、甲子園球場の3倍の広さをもつ四天王寺の境内には、聖徳太子を祀っている「太子殿」や、近畿三十六不動尊第一番の霊場の「亀井不動堂」、日本庭園の「極楽浄土の庭」など、たくさんの見どころが。また毎年4月22日、聖徳太子を偲んで行われる「聖霊会舞楽大法要」では、「天王寺舞楽」が舞われている(国の重要無形民俗文化財)。 ...続きを見る
- アクセス
- 地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」から徒歩で5分
- 営業時間
-
4~9月 8:30~16:30 *毎月21・22日 ~17:00
10~3月 8:30~16:00 *毎月21・22日 ~16:30
六時堂 8:30~18:00 *毎月21・22日 8:00~
本坊庭園 9:00~16:00
- 休業日
- 年中無休(庭園の臨時休園日あり)
- 予算
-
中心伽藍:大人300円、高大生200円
宝物館:大人500円、高大生300円
本坊庭園:大人300円、高大生200円
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-
3.87
- アクセス
- 3.90
- 人混みの少なさ
- 3.42
- バリアフリー
- 3.47
- 見ごたえ
- 3.79
- アクセス
- 地下鉄なんば駅から徒歩5分
-
3.54
- アクセス
- 3.68
- 人混みの少なさ
- 3.77
- バリアフリー
- 3.48
- 見ごたえ
- 4.23
古来、難波一帯の産土神として信仰を集め、かつては七堂伽藍、子院十二坊を有する繁栄ぶりだったが、兵火に遭い、衰退。明治維新後、神仏分離で寺は廃絶し、昭和20年(1945)の空襲で社殿も焼失した。現在の社殿は戦後に再建されたもの。巨大な獅子頭をかたどった高さ12m、幅11m、奥行10mの絵馬殿がとくに目を引く。毎年1月第3日曜日に行なわれる綱引神事は、祭神の素戔鳴尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治し、民の困苦を除いたという故事に基づいて始められたもの。平成13年(2001)度、大阪市で初めての無形民俗文化財に指定された。 ...続きを見る
- アクセス
- 各線「なんば駅」から徒歩で5分
- 休業日
- 無休
- 予算
- 拝観無料
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-
3.47
- アクセス
- 3.42
- 人混みの少なさ
- 3.02
- バリアフリー
- 3.03
- 見ごたえ
- 3.65
夕陽丘の一角に位置する一心寺は、文治(ぶんじ)元年(1185)、法然(ほうねん)上人が四天王寺西門の西側あたりに、草庵を結んだのが始まりとされる浄土宗の寺院。後白河法皇もこの地で、西方に沈みゆく太陽に向かって念仏を唱え、極楽生涯を願う「日想観」の修行を行ったといわれる。現在の境内地は、秀吉の夫人高台院からの拝領によるもの。大坂冬・夏の陣では徳川家康の本陣が置かれた場所としても有名だ。また、一心寺は「お骨佛の寺」としても知られ、納骨堂には人骨でつくられた仏像が安置されている。これは、江戸時代末期から宗派を問わず庶民が納骨に訪れ、明治20年(1887)に約5万体の納骨でもって「お骨佛」がつくられて以来、10年ごとに1体の仏像をつくることになった。現在まで12体の仏像がつくられ、納骨堂には戦後の6体が安置されている。建築家でもある現住職の設計による山門や日想殿も見どころ。 ...続きを見る
- アクセス
-
1) 地下鉄御堂筋線天王寺駅から徒歩で15分
2) 地下鉄谷町線四天王寺前夕陽丘駅から徒歩で12分
3) 地下鉄堺筋線恵比須町駅から徒歩で8分
- 営業時間
- 9:00~16:00
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-
3.45
- アクセス
- 3.42
- 人混みの少なさ
- 3.84
- バリアフリー
- 2.70
- 見ごたえ
- 3.57
天王寺区逢坂1丁目に鎮座、少彦名神(すくなひこなのかみ)、菅原道真を祀る古社。昌泰4年(901)菅原道真が太宰府に左遷された際、河内の道明寺にいた伯母覚寿尼を訪ねて行く途中、ここへ立ち寄って安井(休憩)した。当時、道真に同情した村人がおこしを差し上げると、お礼にと菅原家の紋所「梅鉢」をもらった。これが、今でも大阪名物の「粟おこし」の商標の梅鉢となったといわれている。安居天神社は、その道真の死後の天慶5年(942)、道真の霊を祀るために村人たちが建てたもの。また、当地は四天王寺の僧侶がここで夏安居(げあんご:雨季の間に外出を控え寺院で修行に専念すること)することもあり、「安井」が「安居」になったという。境内には、道真も口にしたといわれる天王寺七名水のひとつ「かんしづめ(癇鎮め)の井」のほか、大坂夏の陣で徳川方に討たれて戦死した真田幸村の記念碑が建つ。 ...続きを見る
- アクセス
- 地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」より徒歩6分
-
-
3.45
- アクセス
- 3.72
- 人混みの少なさ
- 3.34
- バリアフリー
- 3.13
- 見ごたえ
- 3.46
浪速区恵美須西1丁目に鎮座、大阪の商売の神「えべっさん」として信仰を集める神社。推古天皇の時代に聖徳太子が四天王寺を建立した際、同地西方の鎮護神として祀ったのが始まりとされる。祭神は天照皇大神・事代主命(戎さん)・外三神。戎さんはもともと漁業の守り神であり、古代にはこの辺りは海岸沿いで、海・里・野の諸産物が物々交換される「市」が開かれ、その市の守り神としてもこの戎さんが祀られていたそうだ。その後、福徳を授ける神、商業の繁栄を祈念する神としても篤く信仰されるようになった。とくに江戸時代になると、1月9・10・11日の三日間にわたって「十日戎」の祭礼が開催され、宝恵籠の奉納も行われるようになった。現在では、年の最初の祭りとして十日戎の3日間に約100万人を超える参詣者が訪れ、神社から授与される笹がついた小宝・「吉兆」(きっちょう)を買い求め、活気あふれる。 ...続きを見る
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4.0
この有名なフレーズが大音量で流れる中、昨年の枯れた笹を持って神社に入る人(自転車に乗ったオバちゃんが多いのが大阪らしい?)新しく拝領された笹をもって帰る人で、大混雑。さすが、十日戎の賑わいでした。たまたま宿泊したホテルから by moriayu -
2.0
国道25号から少し離れたところに今宮戎神社がありました。十日戎で大混雑しているニュースで見たことがあって、もっと大きな神社だと思っていましたが、想像していたよりずっと小さな神社でした。 いまだに何か見落としていたのか不安 by yamaotokoy1
- アクセス
-
1) 南海高野線「今宮戎駅」から
2) 地下鉄御堂筋線「大国町駅」から徒歩で5分
3) 地下鉄堺筋線「恵美須町駅」から徒歩で5分
- 営業時間
- 9:00~17:00
- 休業日
- 無休
- 予算
- 拝観無料
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-
3.43
- アクセス
- 3.60
- 人混みの少なさ
- 3.73
- バリアフリー
- 3.06
- 見ごたえ
- 3.38
石山崎(現在の大阪城付近)に生島神(いくしまのかみ)・足島神(たるしまのかみ)を祀ったのが始まりとされる延喜式名神大社。天正8年(1580)の石山合戦の時に焼失したが、天正11年(1583)豊臣秀吉が大阪城を築く際、現在の地に移転。本殿は移転の2年後に造営され、本殿と幣殿をひとつの流造で葺きおろし、正面に千鳥破風、すがり唐破風、千鳥破風の3つの破風を据えたという、神社建築史上ほかに例のない「生國魂造」様式を用いる。現在の本殿は戦後に建て替えられたコンクリート造銅板葺きだが、桃山時代の遺構を伝えているそうだ。毎年6月30日には厄災・病を払う「大祓式」、7月11・12日には「いくたま夏祭」、8月11・12日には「大阪薪能」、9月の第1日曜日とその前日には上方落語の祖である米澤彦八に因んだ「彦八祭」が開催され、大勢の参拝客で賑わっている。地下鉄谷町線「谷町九丁目駅」から徒歩3分。 ...続きを見る
- アクセス
- 地下鉄谷町線「谷町九丁目駅」から徒歩で3分
- 営業時間
- 9:00~17:00 季節により異なる
- 休業日
- 無休
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-
3.42
- アクセス
- 3.55
- 人混みの少なさ
- 3.89
- バリアフリー
- 2.95
- 見ごたえ
- 3.35
第33代・推古天皇の時代、四天王寺建立と同時期に、聖徳太子が叔父の第32代・崇峻(すしゅん)天皇を偲んで茶臼山に建立したと伝えられ、四天王寺七宮のひとつに数えられる神社。古くから明治中期まで境内の南沿いに美しい堀があり、この堀を越えて参詣したので、「堀越」という名がつけられたという。境内には、かつて八軒家の渡辺の津にあった熊野第一王子の窪津王子が祀られている。交通量の多い谷町筋に面しているが、樹齢数百年におよぶ樹木などによって、境内は閑静な雰囲気を保持している。大阪では、「堀越さんは一生に一度の願いを聞いてくださる神さん」との言い伝えがあり、古くから親しまれている。 ...続きを見る
- アクセス
-
1) 地下鉄・JR「天王寺駅」から徒歩で約10~15分
2) 近鉄「あべの駅」から徒歩で約10~15分
- 営業時間
- 6:00~17:00
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-
3.41
- アクセス
- 3.63
- 人混みの少なさ
- 3.83
- バリアフリー
- 2.53
- 見ごたえ
- 3.81
天王寺区の宰相山公園にあり、仁徳天皇・天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る三光神社。社伝によれば、寛文元年(1661)に当社は南東方向にある鎌八幡の隣に移転されたが、その後宝永3年(1706)に再び現在地に戻ったという。古くは「日月山神社」とも、「姫山神社」とも呼ばれたらしい。明治11年(1908)に陸奥国青麻の三光宮の分霊を勧請・合祀したことから、「三光神社」と呼ばれ、今日に至っている。「三光さん」は中風封じの神として良く知られており、毎年6月1日から1週間の中風除け祈願の期間には、全国各地から参拝者がやってくる。また、境内は桜の名所としても知られるほか、大阪城と地下道でつながっていると伝えられる「真田の抜け穴」の跡がある。この抜け穴の脇には真田幸村の陣中での指揮姿の銅像が建っている。 ...続きを見る
- アクセス
-
1) 地下鉄長堀鶴見緑地線「玉造駅」から徒歩で2分
2) JR大阪環状線「玉造駅」から徒歩で5分
- 営業時間
- 9:30~16:00 利用時間は社務所の開いている時間
- 休業日
- 年中無休
- 予算
- 拝観無料
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-
3.40
- アクセス
- 3.34
- 人混みの少なさ
- 3.89
- バリアフリー
- 2.52
- 見ごたえ
- 3.22
地下鉄谷町線谷町九丁目駅下車徒歩5分。貞観8年(866)、清和天皇の勅令によって難波高津宮の遺跡が探され、あったと定められた地に仁徳天皇を祀る社が建立されたのが始まりとされている。700年後、正親町天皇の天正11年(1583)、豊臣秀吉が大坂城を築城した際にご神体を現在地に移したが、第2次世界大戦時の大阪大空襲で神社は悉く全焼。現在の社殿は、戦後に再建されたもの。同社は古典落語「高津の富」「高倉狐」「祟徳院」の舞台として知られ、古くから大坂町人の文化の中心地として賑わっていた。現在も境内にある「高津の富亭」で、五代目桂文枝一門による落語の寄席が定期的に行われている。また、境内に桂文枝の石碑も。春の高津宮桜祭は大勢の花見客で賑わい、夜桜はとくに評判だという。 ...続きを見る
- アクセス
- 地下鉄谷町線「谷町九丁目駅」から徒歩で5分
- 営業時間
- 9:00~16:30
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-
-
3.38
- アクセス
- 3.57
- 人混みの少なさ
- 4.04
- バリアフリー
- 3.34
- 見ごたえ
- 3.40
地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘駅から徒歩2分、四天王寺の四箇院のひとつである「施薬院」として推古天皇元年(593)に、聖徳太子によって建立された。施薬院とは、仏教の教えによって設けられたもので、薬草を栽培し、あまねく人々に病に応じてそれを与える福祉施設だった。後に聖徳太子が勝鬘経を人々に講ぜられ、経に登場するシュリーマーラー夫人(勝鬘夫人)の仏像を本堂に祀ったことから、当院は「勝鬘院(しょうまんいんあいぜんどう)」と呼ばれるようになった。また金堂には本尊として、良縁成就・夫婦和合で有名な愛染明王が奉安されていることから、「愛染堂」としても親しまれている。境内には、豊臣秀吉が再建した桃山時代の代表作である、多宝塔(国の重要文化財)のほか、飲むと愛が叶うといわれる「愛染めの霊水」があり、若い女性に人気だ。毎年6月30日、7月1・2日には、大阪の三大夏祭りのひとつとして有名な愛染祭が行われる。 ...続きを見る
- アクセス
- 地下鉄谷町線「四天王寺前夕陽ヶ丘駅」から徒歩で2分
- 休業日
- 年中無休
- 予算
- 参拝・拝観無料
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-
3.37
- アクセス
- 3.61
- 人混みの少なさ
- 3.62
- バリアフリー
- 2.95
- 見ごたえ
- 3.91
- 住所
- 大阪府大阪市天王寺区四天王寺町1-1-18
-
3.35
- アクセス
- 3.50
- 人混みの少なさ
- 3.84
- バリアフリー
- 3.26
- 見ごたえ
- 3.28
勝鬘院(愛染さん)の近くに鎮座、聖徳太子によって建立された、四天王寺七宮(上之宮・小儀・土塔・乾・河堀・堀越・久保)のうちのひとつ。四天王寺の乾(いぬい=戌亥=西北)に位置しているから、江戸時代では「乾社」と呼ばれていた。また毘沙門天を祀っていたので、「毘沙門堂」ともいった。『摂津名所図会』には、乾社のお祭りを描いた「六月十六日勝曼阪毘沙門祭」の挿絵が描かれている。慶応3年(1867)には大江神社に改称。毘沙門天も明治維新後の神仏分離で大津坂本に移ったという。また、明治40年(1907)には、上之宮・小儀・土塔が大江神社へ合祀された。かつては夕陽の名所だったことから、境内には「夕陽岡」の碑があり、歌人・藤原家隆が晩年を過ごした「夕陽庵」もこの辺りにあったという。 ...続きを見る
- アクセス
- 地下鉄谷町線四天王寺前夕陽丘駅から徒歩で0.10km
-
3.35
- アクセス
- 3.39
- 人混みの少なさ
- 3.83
- バリアフリー
- 2.72
- 見ごたえ
- 3.57
- 住所
- 大阪府大阪市天王寺区伶人町5-8
-
3.35
- アクセス
- 3.94
- 人混みの少なさ
- 3.66
- バリアフリー
- 3.58
- 見ごたえ
- 3.68
- 住所
- 大阪府大阪市浪速区敷津西1丁目2-12
-
宿公式サイトから予約できる大阪のホテルスポンサー提供
-
ミナミ(難波・天王寺)への旅行情報
-
3.35
- アクセス
- 3.61
- 人混みの少なさ
- 3.89
- バリアフリー
- 3.00
- 見ごたえ
- 3.29
鞴神社(ふいごじんじゃ)は、生國魂神社(いくたまじんじゃ)の境内にある8つの末社のうちのひとつ。祭神は天目一箇神(あまのめひとつのかみ)、香具土(かぐつち)神など。鞴(ふいご)は火をおこす道具で、鍛冶の神、カマドの神として信仰を集めている。毎年11月8日には、鍛冶(かじ)や鋳物業の繁盛を祈願する伝統行事「鞴(ふいご)祭り」が行われる。日本美術刀剣保存協会ら大勢の参拝客を前に、5人の刀匠が鞴を使っておこした火で玉鋼を真っ赤に焼き、大鎚(づち)を振り下ろして鍛錬、奉納する。 ...続きを見る
- アクセス
- 地下鉄谷町線「谷町九丁目駅」から徒歩で5分
- 営業時間
- [11月8日~] 鞴祭
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-
3.35
- アクセス
- 3.52
- 人混みの少なさ
- 3.55
- バリアフリー
- 2.85
- 見ごたえ
- 3.72
- 住所
- 大阪府大阪市天王寺区四天王寺1丁目
-
3.35
- アクセス
- 4.21
- 人混みの少なさ
- 4.12
- バリアフリー
- 2.95
- 見ごたえ
- 3.45
- アクセス
- 地下鉄・谷町線 谷町九丁目駅より徒歩
-
3.34
- アクセス
- 3.66
- 人混みの少なさ
- 3.40
- バリアフリー
- 3.13
- 見ごたえ
- 3.41
- 住所
- 大阪府大阪市天王寺区四天王寺町1-1-18
-
3.34
- アクセス
- 3.44
- 人混みの少なさ
- 4.43
- バリアフリー
- 3.28
- 見ごたえ
- 3.33
阪堺電車の東天下茶屋駅から、もとの熊野街道を南へ約5分。安倍晴明神社は、近年ブームの陰陽師・安倍晴明を祀る、占いの発祥地でもある。安倍晴明は阿倍野の豪族だった父・阿倍保名(あべやすな)と葛の葉と名乗る白狐の間に生まれた伝説がある。葛の葉の正体が白狐であることがばれた時に、障子に葛の葉が書き残した歌「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」は、あまりにも有名。社伝によると、安倍晴明神社は、晴明没後2年の寛弘4年(1007)の創設とされている。境内には、江戸の文政年間に建設された晴明誕生の地を示す碑や、産湯の跡などがあり隆盛を極めたが、幕末に衰退へ。大正10年(1921)、50m南にある安倍王子神社の末社として復興、大正14年(1915)には現在の社殿が建てられたという。境内で実施されている、日替わりの占いコーナーも大人気。 ...続きを見る
- アクセス
- 阪堺上町線東天下茶屋駅から徒歩で5分東南へ