河南・太子の名所・史跡 ランキング
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3.34
- アクセス
- 3.40
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- 4.45
- バリアフリー
- 2.50
- 見ごたえ
- 4.32
新羅の征討、官位十二階の制定、十七条の憲法の公布、多くの寺院の建立など、聖徳太子ほどたくさんの事業をなしとげた人物は歴史上でも数少ない。叡福寺の北にある御廟の地は、太子が生前に選んだものといわれている。49歳で亡くなった太子とその前日にこの世を去った妃の膳部大郎女(かわしべのおおいらつめ)、さらに2ヶ月前に亡くなった母の穴穂部間人皇女(あなほべのはしひと)も同じ廟所に埋葬されたので、これを「三骨一廟」と呼んでいる。 ...続きを見る
- アクセス
- その他 近鉄長野線「喜志駅」下車 金剛バスに乗り換え「上ノ太子」行に乗車 「太子前駅」下車徒歩すぐ
- 予算
- 【料金】 境内自由 寺宝館 200円
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3.33
- アクセス
- 2.88
- 人混みの少なさ
- 3.63
- バリアフリー
- 1.71
- 見ごたえ
- 3.22
鎌倉勢との戦いで下・上赤坂城が相次いで落城したのち、元弘3年(1333)、楠木正成が金剛山の険しい山腹(標高666m)のところに築城し、わずかな兵力で100日間龍城、鎌倉勢を釘付けにしたことが『太平記』などで伝えられている山城の跡。その間に、源義家(八幡太郎義家)を祖先とする河内源氏の一門・新田義貞らが鎌倉へ攻め込み、鎌倉幕府は滅亡。以降、千早城は元中9年(1392)、北朝方の畠山基国によって落城するまで、楠木家の根拠地として約60年間、使われていた。現在、千早城のあった跡地(国の史跡)には千早神社があり、正成・正行(まさつら)親子を祀っている。二の丸跡、三の丸跡なども付近にあり、さらにここから登山道を少し登ったところには「千早城跡五輪塔」が。地元では「首塚さん」と呼ばれ、正成や、その三男である正儀(まさのり)の供養塔と考えられているそうだ。 ...続きを見る
- アクセス
- 南海高野線「河内長野駅」 バス 南海バスに乗り換え「金剛山ロープウェイ行」に乗車 「金剛登山口」下車徒歩約30分
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3.32
- アクセス
- 3.05
- 人混みの少なさ
- 4.00
- バリアフリー
- 2.67
- 見ごたえ
- 4.20
- 住所
- 大阪府南河内郡千早赤阪村
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3.31
- アクセス
- 2.83
- 人混みの少なさ
- 4.25
- バリアフリー
- 3.67
- 見ごたえ
- 3.30
- アクセス
- 近鉄「喜志」からバス「御陵前」下車 南へ0.2km
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3.30
- アクセス
- 2.50
- 人混みの少なさ
- 4.13
- バリアフリー
- 2.50
- 見ごたえ
- 3.25
- アクセス
- 近鉄「喜志」からバス「六枚橋」下車 東へ0.8km
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3.30
- アクセス
- 2.67
- 人混みの少なさ
- 4.00
- バリアフリー
- 3.00
- 見ごたえ
- 3.17
科長神社南側の小高い丘の上に、古くから小野妹子の墓と伝えられる小さな塚があります。妹子は、推古天皇の時代に遣隋使として、当時中国大陸にあった隋という大国に派遣された人物です。妹子が聖徳太子の守り本尊の如意輪観音の守護を託され、坊を建て、朝夕に仏前に花を供えたのが、池坊流の起こりになったとされることから、現在、塚は池坊によって管理されています。 ...続きを見る
- アクセス
- その他 近鉄河内長野線「喜志駅」から金剛バス「御陵前」下車
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3.30
- アクセス
- 3.33
- 人混みの少なさ
- 4.10
- バリアフリー
- 3.50
- 見ごたえ
- 3.42
南北朝時代のヒーロー・楠木正成の誕生地。秀吉の時代に検地され、小さな社が祀られたが、後に大久保利通の奨めで石碑が建てられた。千早赤阪村郷土資料館のすぐ近く、楠木正成が誕生したと思われる地。正成(幼名:多聞丸)は永仁2年(1294)、現在の千早赤阪村水分山ノ井で誕生し、幼少の8?15才まで観心寺境内にある楠木家の菩提寺の「中院」で学問を習ったといわれる。当時は140年あまり続いた鎌倉幕府が衰え、政治を武士から天皇の手に戻そうという一大転機の時代。正成は元弘元年(1331)?元弘3年(1333)まで幕府勢と戦い、勝利を収め、功労者として後醍醐天皇より従五位下検非違使に任命されたが、建武3年(1336)、天皇を中心とした政治に反旗をひるがえした足利尊氏に湊川の戦いで破れ、自害した。そんな正成の功績を鑑み、文禄年間(1592?1596)、豊臣秀吉の命により、増田長盛がここを検地し土壇を築き、小さな社を祀ったのが始まりとされる。さらに明治8年(1874)、大久保利通の奨めによりここに碑が建てられた。毎年4月25日には「楠公祭」が行われているそうだ。 ...続きを見る
- アクセス
- 近鉄長野線「富田林駅」よりバス「千早赤阪村役場」下車 徒歩5分
- 予算
- 【料金】 無料
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3.27
- アクセス
- 2.88
- 人混みの少なさ
- 3.88
- バリアフリー
- 2.50
- 見ごたえ
- 3.25
- 営業時間
- 10:00-16:00 (ただし正午~午後1時は休憩)
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3.26
- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 4.10
- バリアフリー
- 2.00
- 見ごたえ
- 3.75
- アクセス
- 富田林駅・喜志駅より 金剛バス阪南ネオポリス下車すぐ
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10
3.26- アクセス
- 2.00
- 人混みの少なさ
- 3.00
- バリアフリー
- 3.00
- 見ごたえ
- 3.00
元弘元年(1331)、鎌倉幕府討幕計画が発覚し、後醍醐天皇が笠置山に逃れました。楠木正成はこれに合わせて挙兵、この赤阪城を急いで築城しました。しかし、にわか造りであったため、すぐに落城、正成はいったん退きます。その後、元弘2年(1332)、正成はこの城を再び奪還、再度落城しますが、千早城での籠城戦の間に幕府は滅亡します。この城は、金剛山地から北方向へ延びる尾根上に位置します。残念ながら城としての遺構は残存していませんが、「甲取」(かぶとり)、「矢場武」(やばたけ)などの城を連想させる地名が残っています。なお、現在の村役場の上位付近には「主郭(本丸)跡」の伝承の残る平坦地がありますが、そこからは南河内地域が一望でき、眺望という観点からはまさに城であることを感じさせます。 ...続きを見る
- アクセス
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近鉄長野線「富田林駅」よりバス「消防分署前」バス停下車 徒歩約10分
※2023年12月21日より「千早赤阪村立中学校前」で一旦下車し「金剛登山口」行きバスに乗り継ぐ必要があります。
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3.24
- アクセス
- 3.25
- 人混みの少なさ
- 3.75
- バリアフリー
- 2.50
- 見ごたえ
- 3.75
大阪の景色独り占め。金剛山の山頂付近にある展望台の下には、芝生で出来た公園があり、大勢の観光客がお弁当を広げてゆっくり過ごしている。展望台からは、天気の良い日になると金剛山を囲む三方の山と関西国際空港が見える。 ...続きを見る
- アクセス
- 南海高野線「河内長野駅」より南海バスに乗り換え「金剛山ロープウェイ前」下車 徒歩約70分
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3.24
- アクセス
- 2.25
- 人混みの少なさ
- 4.00
- バリアフリー
- 3.00
- 見ごたえ
- 2.50
- 住所
- 大阪府南河内郡太子町大字山田1799
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13
3.22- アクセス
- 4.50
- 人混みの少なさ
- 4.50
- バリアフリー
- 3.00
- 見ごたえ
- 4.50
- 住所
- 大阪府南河内郡河南町弘川43
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14
3.21- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 4.00
- バリアフリー
- 3.50
- 見ごたえ
- 3.50
下赤坂城落城後、いったん身を隠していた楠木正成が、1332年に再び鎌倉幕府軍に戦いを挑んだときに築いた城のひとつ。三方を深い谷に囲まれたこの地で、正成はさまざまな戦略を駆使して戦うことになる。残念ながらこの場所には、当時を思わせる建物は何も残っていないが、本丸跡からは大阪平野が一望できる絶好のロケーションだ。 ...続きを見る
- アクセス
- 近鉄長野線「富田林駅」からバスに乗り換え「千早赤阪村役場」下車 徒歩約50分
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3.21
- アクセス
- 3.50
- 人混みの少なさ
- 4.00
- バリアフリー
- 3.00
- 見ごたえ
- 4.00
- 住所
- 大阪府南河内郡河南町弘川43
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河南・太子への旅行情報
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16
3.07- アクセス
- 1.00
- 人混みの少なさ
- 4.00
- 見ごたえ
- 3.00
奈良時代に二上山山麓に造られた鹿谷寺跡は、凝灰岩の岩盤を掘り込んで作られた大陸風の石窟寺院です。中国大陸には敦煌や龍門石窟など、数多くの石窟寺院が見られますが、奈良時代にまでさかのぼる本格的な石窟寺院は、我が国では二上山山麓以外には知られていません。寺跡の中心部には、十三重の石塔と岩窟に彫りこまれた線刻の三尊仏坐像が遺されており、かつてこの周辺から日本最古の貨幣といわれる、和同開珎が出土しています。 ...続きを見る
- アクセス
- その他 近鉄南大阪線「上ノ太子駅」より 徒歩60分
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17
3.07- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 5.00
- バリアフリー
- 2.50
- 見ごたえ
- 3.50
珍しい、ひょうたん形をした古墳。この「金山古墳」は珍しい「瓢形」。つまり「ひょうたん」の形をした双円墳である。2000年までに発見されている瓢形古墳の中では、日本最大規模のもので、石棺の形式や副葬品などから6~7世紀にかけて築造されたと考えられている。北側にある墳丘には横穴式の石室が見られ、二つの家型石棺が安置されている。古墳の周辺は史跡公園として、整備され憩いの場として親しまれている。 ...続きを見る
- アクセス
- その他 近鉄長野線「富田林駅」より金剛バスに乗り換え「芹生谷」下車 徒歩3分