篠栗・粕屋の名所・史跡 ランキング
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- クチコミあり
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3.32
- アクセス
- 3.21
- 人混みの少なさ
- 3.79
- バリアフリー
- 3.17
- 見ごたえ
- 4.00
旧志免鉱業所竪坑櫓は、かつてこの町に炭鉱があり、志免町が炭鉱で栄えてきた証です。昭和39年の炭鉱の閉山後は、志免町のランドマークとなっています。この竪坑櫓は、近代の鉄筋コンクリート構造物の中で、わが国有数の高さを誇り、建設技術史上価値が高いことから、平成21年12月8日に国の重要文化財(建造物)に指定されています。鉄筋コンクリート製、47.6mの高さがあり、地下430mまである垂直な坑道で鉱員の昇降、石炭の搬出を行っていました。昭和18年に第四海軍燃料廠により建造されたものです。※現在、保存修理工事中(令和2年10月までの予定) ...続きを見る
- アクセス
-
西鉄東公園台2丁目バス停 徒歩 2分
九州自動車道須恵スマートIC 車 5分
-
3.24
- アクセス
- 2.67
- 人混みの少なさ
- 4.00
- バリアフリー
- 1.00
- 見ごたえ
- 3.67
- 住所
- 福岡県糟屋郡篠栗町若杉
-
3.23
- アクセス
- 2.67
- 人混みの少なさ
- 3.67
- バリアフリー
- 2.00
- 見ごたえ
- 4.17
- 住所
- 福岡県糟屋郡新宮町立花口
-
3.22
- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 4.25
- バリアフリー
- 3.50
- 見ごたえ
- 3.75
伝教大師が帰国し寄宿された延暦24年(805年)のまま続いているところから千年家と呼ばれている。建物は17世紀後半から18世紀初期のもので茅葺の曲家農家で国の重要文化財。大師が授けた岩井の水、法火、毘沙門天像が祀られている。 ...続きを見る
- アクセス
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JR新宮中央駅 バス 5分 新宮町コミュニティバスマリンクス(相らんど線)
「千年家」バス停 徒歩 1分
そぴあ新宮 徒歩 10分
- 営業時間
- (日水木金土祝) 10:00~16:45
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3.21
- アクセス
- 2.83
- コスパ
- 3.50
- サービス
- 4.00
- 人混みの少なさ
- 3.00
- 雰囲気
- 4.00
- 料理・味
- 4.00
- バリアフリー
- 3.00
- 観光客向け度
- 3.00
- 見ごたえ
- 3.00
- 休業日
- 無休
-
-
3.21
- アクセス
- 2.50
- 人混みの少なさ
- 3.25
- バリアフリー
- 2.00
- 見ごたえ
- 4.00
山城跡。石垣の一部が残るのみだが眺望はよい。
- アクセス
-
JR福工大前駅 バス 15分 新宮町コミュニティバスマリンクス(山らいず線)
立花小学校前バス停 徒歩 40分
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3.20
- 住所
- 福岡県糟屋郡篠栗町篠栗985
-
3.17
- アクセス
- 3.50
- 人混みの少なさ
- 4.50
- バリアフリー
- 3.50
- 見ごたえ
- 4.00
鳴淵ダムは鳴渕川の上流、糟屋郡篠栗町大字篠栗、金出地先に計画された重力式コンクリートダムで、総貯水容量4,400千立方メートルを有する多目的ダムです。 ...続きを見る
- 住所
- 福岡県糟屋郡篠栗町大字篠栗、金出
-
3.03
- アクセス
- 2.50
- 人混みの少なさ
- 4.00
- 見ごたえ
- 2.50
- 住所
- 福岡県糟屋郡志免町田富3-18
-
10
3.03- アクセス
- 2.00
- 人混みの少なさ
- 4.50
- バリアフリー
- 3.50
- 見ごたえ
- 3.00
上大隈区に所在し、約2.5mのふた石を用いた他に例のない巨大な箱式石棺です。弥生時代の終末期に推定されてはいますが、次の古墳時代への移り変わりの様子をよく示していることから、福岡県文化財に推定されています。 ...続きを見る
- アクセス
- 西鉄上脇田バス停 徒歩 5分 0.3km
- 予算
- 【料金】 無料
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3.03
- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 3.50
- 見ごたえ
- 3.00
- 住所
- 福岡県志免町大字吉原660 平成の森公園内
-
2.90
- アクセス
- 2.00
- 人混みの少なさ
- 4.50
- バリアフリー
- 2.50
- 見ごたえ
- 2.00
展望台は博多湾まで見渡せる。
- 住所
- 福岡県糟屋郡篠栗町大字篠栗
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評価なし
志免鉱業所跡は志免町総合福祉施設シーメイトの敷地内にあります。この地域には質のよい石炭があったので、海軍が明治22年新原採炭所(須惠村)を開いて以降、第二次世界大戦中に、竪坑と第八坑などが設けられ、石炭の採掘が行われました。第八坑の設備は昭和15年3月に完成し、後に竪坑との間に連絡坑道が地下深いところで結ばれました。この施設により、深い層の石炭を採掘し、軍艦や工業用の燃料とすることができました。戦後は国鉄の燃料として採掘されましたが、一貫して国営の炭鉱だったので、志免鉱業所は、大正から昭和のはじめにかけて郡内一の炭鉱として繁栄しました。昭和39年に閉山しましたが、今も残る遺構は、75年間の志免鉱業所の採掘から搬出までの一連の流れを伝えること、歴史上価値が高いことから県の史跡に指定されました。 ...続きを見る
- アクセス
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西鉄東公園台2丁目バス停 徒歩 2分
九州自動車道須恵スマートIC 車 5分