宇土・三角の名所・史跡 ランキング(2ページ)
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- エリア
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- クチコミあり
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3.23
- アクセス
- 2.00
- 人混みの少なさ
- 5.00
- バリアフリー
- 3.00
- 見ごたえ
- 3.50
周辺は、九州中央山地国定公園に指定されており、四季折々の姿を見せてくれます。
- アクセス
-
熊本桜町バスターミナル 車 90分 44km 展望所までの公共交通機関の運航はありません
御船インター 車 70分 34km 麓から道幅が狭くなっており、離合も困難です。
- 予算
- 【料金】 無料
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22
3.23- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 4.00
- 見ごたえ
- 4.00
細川支藩(三万石)二代細川行孝公が宇土入部後、轟水源を基点として4.8kmの市街地まで上水道をつくったのが始まりです。当時の水道は陶管でしたが、六代細川興文公時代に、現在の樋管(馬門石)に取り替える大改修を行ないました。令和の時代でも約100戸の住宅で使用され、日本最古の上水道と言われています。轟水源は日本名水百選にも選ばれています。 ...続きを見る
- アクセス
- 宇土駅 車 10分
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3.23
- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 5.00
- 見ごたえ
- 4.50
寛政4年(1972)か5年に細川藩の御用窯として開窯し、幕府への献上品を作っていました。最盛期には8窯あったといわれ、現在残る窯は最後に焼かれた長尾新家窯で連房式(5段)の登り窯です。 ...続きを見る
- アクセス
- 網田駅 車 10分
-
3.22
- アクセス
- 2.75
- 人混みの少なさ
- 4.50
- バリアフリー
- 2.00
- 見ごたえ
- 3.00
佐々成政が秀吉に追われた後、天正17年(1589)に小西行長が宇土半島基部に築いた城。築城するとき土豪たちが資材や人夫の提供を拒んだので、行長は加藤清正と征伐にあたったあと、築城にとりかかった。関ヶ原合戦で敗れた行長はキリシタン大名らしく、切腹よりも処刑を望んだ。行長の重臣で、キリシタン武将の内藤如安は高山右近とともに呂宋に追放された。◎佐々成政(1537-1588)愛知県春日井郡生れ。武将。比良城主の子。信長に仕え転戦ののち富山城主となるも秀吉に降伏。以後は肥後に転じ、失政の理由をもって尼ケ崎で切腹。 ...続きを見る
- アクセス
- 宇土駅から車で8分
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25
3.22- アクセス
- 3.50
- 人混みの少なさ
- 4.50
- バリアフリー
- 1.50
- 見ごたえ
- 3.50
- 住所
- 熊本県下益城郡美里町佐俣
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3.22
海と三角町をイメージし、巻貝をモチーフとした建物。屋上展望所より天草の島を一望できる。
- アクセス
- JR三角駅 徒歩 1分
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3.22
- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 5.00
- 見ごたえ
- 3.50
- 住所
- 熊本県宇城市不知火町松合
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3.21
- アクセス
- 2.75
- 人混みの少なさ
- 4.63
- バリアフリー
- 2.00
- 見ごたえ
- 2.88
- 住所
- 熊本県宇土市古城町
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3.21
- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 5.00
- 見ごたえ
- 3.00
標高39mの小丘陵上に位置する墳長86mの前方後円墳。後円部に竪穴式石室があり,その内部に長さ4.2m(全国2位),推定重量4トンの巨大な舟形石棺が納められています。棺内には銅鏡や車輪石(腕輪),鉄刀などの豪華な副葬品とともに女性が葬られていた。 ...続きを見る
- アクセス
- 宇土駅 車 10分
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30
3.21- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 5.00
- 見ごたえ
- 3.00
奈良時代末期に建立された古代寺院の跡で、延暦9年の創建の碑、天長3年の寺領を記した碑、康平7年の法華経の碑など九州最古の碑が現存する貴重な寺院跡である。 ...続きを見る
- アクセス
- 松橋駅 バス 10分
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3.21
- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 5.00
- 見ごたえ
- 3.00
相良義陽と甲斐宗運との合戦場となった。
- アクセス
- 松橋駅 バス 15分
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3.21
- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 5.00
- 見ごたえ
- 3.00
- 住所
- 熊本県宇城市不知火町松合
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33
3.17- アクセス
- 3.00
- 人混みの少なさ
- 5.00
- 見ごたえ
- 3.00
大正時代以来,数度の発掘調査が行われ全国的にも著名な縄文貝塚のひとつです。広さ1ha,厚さ60cmの貝層で全国的に知られる。
- アクセス
- 宇土駅 車 5分
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3.07
- アクセス
- 2.50
- 人混みの少なさ
- 4.50
- バリアフリー
- 3.50
- 見ごたえ
- 3.50
勢多尾城とも云う。現在は堀切の中に極めてめずらしい変形障子堀もある。16世紀前半頃より、阿蘇氏の戦闘城としての役割を果たしていたが、天正十年(1582)、肥後に侵攻してきた島津氏の2度に及ぶ攻撃で落城。自然の地形を利用し14本の堀切(尾根すじを分断した堀)、7つの郭(人工的な削平地)、変形障子堀などを有す、県内でも有数の大規模山城。近年の調査では「門跡」が発見されている。 ...続きを見る
- アクセス
- 松橋駅 バス 20分
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